第八回東京大学南原繁記念出版賞発表

東京大学出版会では創立六〇周年(二〇一一年)を機に,この設立趣旨の一層の達成に向け,東京大学南原繁記念出版賞を創設しました.これは,優れた学術論文を発掘し,書籍として世に問う機会を広く推し進めたいという意図に基づくものです.そして東京大学出版会は,本出版賞創設を契機に,将来の世代に向けて清新で創造的な大学出版部活動を更に展開いたします.

 二〇一七年四月には第八回の募集をし,東京大学教員の推薦により一三点の応募を得ました.東京大学出版会理事会のもとに選考委員会を組織し,厳正な審査を行い,ここに優れた論文を選ぶことができました.

 本出版賞創設の趣旨のご理解と,関係各位の一層のご協力をお願い申し上げます.
第八回 東京大学南原繁記念出版賞・選考委員会(五十音順/敬称略)
委員長─吉見 俊哉(東京大学出版会理事長/東京大学大学院情報学環教授)
委員─宇野 重規(東京大学出版会理事/東京大学社会科学研究所教授)
委員─中井 祐(東京大学出版会企画委員/東京大学大学院工学系研究科教授)
委員─秋田 喜代美(東京大学出版会企画委員/東京大学大学院教育学研究科教授)
委員─大村 敦志(東京大学出版会企画委員/東京大学大学院法学政治学研究科教授)

【第八回 東京大学南原繁記念出版賞受賞作】
江本 弘(えもと ひろし)
『北米建築論壇におけるジョン・ラスキン受容に関する研究』

【略歴】
一九八四年生まれ,二〇〇八年東京大学工学部建築学科卒業.二〇一〇年東京大学大学院工学系研究科修士課程修了(建築学専攻).二〇一七年同大学院研究科博士課程修了.博士(工学).一級建築士.三井嶺建築設計事務所勤務を経て,二〇一八年度より日本学術振興会特別研究員.
【専攻】近代建築史

【受賞のことば】
 私がラスキンの受容史研究に足を踏み入れたのは,彼の主著である『建築の七燈』のとらえどころのなさ,というより「読めなさ」のためだった.建築学科の教程のなかで,この書籍はかならず必読書にかかげられる,近代建築理論の重要著作として名高い.しかし昔もいまも,私はこれを,名著であるというより,晦渋な仕掛けにあふれた奇書だと思っている.学部生時分の私は,当時唯一であった岩波文庫の翻訳本でこの『七燈』を読みはじめ,早々に挫折し途方に暮れた.
 そうしたなかで行きあたったのが,恩師鈴木博之先生の『建築の七つの力』だった.まえがきに吐露されたご自身の『七燈』理解は,その正直さゆえに鮮烈だった.曰く,「本当のところが解ったとはとても言えない」,「結局(……)宿題として残ってしまった」と.ではいったい誰がそれを読めたと言えるのか.拙速な私は倒錯した義憤をおぼえながら,それでも「建築家の聖書(バイブル)」と崇められる,この書物の不思議に憑かれていた.
 しかし,どのようにラスキンを読んでよいか,それで見当がつくわけではない.かといって先人の,とくに先輩「建築家」の御高説に甘んじてなどいられない.当時の天邪鬼な私は,それらが全く信じられずに食ってかかった.だがひとまず,初版が出版されてからの一世紀半をこえる読解の蓄積にたずねれば,それでも有益な示唆に行きあたるのではないか.こうしていざ集められた証言の数かずは,「ラスキンは読めない」という独りよがりを,さらにたちの悪い確信に変えた.と同時に,それでもラスキンを読むことを余儀なくされながら,いまや近代建築史として歴史の一部となった,皮肉な時間のあゆみに非常な興味をおぼえることともなった.
 付録とした『七燈』論は,ようやくラスキンを読めたと感じた私なりの解答である.ただ,それが査読論文として発表されるのを待たずに,鈴木先生はその前年に逝ってしまわれた.先生は私に,「わかりました」と報告する機会をついには与えてくれなかったのである.しかし,そのせりふを言いきることは知の停滞を意味し,その停滞に対する怒りこそが,そもそも私をこの一連の研究に導いた原動力だったことを思わなければならない.
 鈴木先生の退職以降,修士二年からお世話になった伊藤毅先生は,この,ほとんど大学に顔をださない,始末の悪い学生の放言の数かずを常に許容してくださり,私の臆病を見抜けば,もっとふざけろと檄を飛ばしてくださった.また東洋文化研究所の羽田正先生には,本論文の成立の根底にかかわるご助力をいただいた.その他,ここで挙げることのかなわない数多くの方々との交流のなかで,悲喜こもごもの感情を抱き,精神を活かしつづけられたことこそが,本賞の受賞に繋がる何よりの仕合せだった.ここに記して感謝申し上げる次第である.
(江本 弘)

【講 評】
 歴史の混沌を俯瞰して一つの筋道を発掘する優れて創造的なパースペクティヴと,独自の構想を細部まで描き切る緻密でタフな論述力.文句なしの受賞である.
 本作品の主題であるジョン・ラスキンは,『建築の七燈』で建築史にその名を刻む,一九世紀英国の批評家である.西洋近代思想史のキイパーソンの一人として知られるが,日本ではかならずしもなじみの深い人物とはいえないだろう.評者も恥ずかしながら,ラスキンといえばせいぜい,大英帝国が絶頂期にあった一九世紀ヴィクトリア朝時代,当時の社会と人間のありかたを批判して中世回帰を主張した反近代主義者,という程度の,きわめて一面的なイメージしかもちあわせていなかった.
 本作品は,一九~二〇世紀前半のアメリカ建築界が,みずからの建築の伝統を確立せんとする議論の過程において,ラスキンをどのように参照し,批判し,忘却し,あるいは評価したかを綿密に追跡する.そして,古典主義とゴシック主義と機能主義,これらのイデオロギーが相互にもつれあい,融合しまた離反する,混沌としたアメリカ建築論壇の百年を,生き生きと活写する.作中,主役であるラスキンの生身の人間像について,あるいは思想の具体の内容について,語られることはほとんどない.しかし,この著者の徹底して俯瞰的な視線によって,むしろ,ラスキンとは何者であったのか,さらには近代アメリカとはなんだったのか,という知的探索の旅に,読者はいざなわれてゆく.
 産業革命以来の工業化の進展,帝国主義的資本主義とグローバリズム,とりわけブルジョワ革命による近代市民社会の誕生.一九世紀ヨーロッパは,人類史上でも稀に見るほど,人間をとりまく社会環境や自然環境が激しく変貌した時期であった.人間の人間らしさとはなにか.それを保証する社会とはどのような社会か.権力者,インテリ,ブルジョワ,労働者,言いかえれば市民の一人ひとりが,この問題に向きあわざるをえなくなった時代.活気と喧騒の裏側に孕む社会の矛盾,揺らぐ人間性の根拠.中世的な,共同体の安寧,自然との調和,神秘なるものへの信仰は,もはや失われて久しい.このような時代にあって,数多の英雄的な思想家,芸術家,科学者があらわれ,人間の意志に推進力を与えた.それが,われわれが知るヨーロッパの一九世紀である.ただしラスキンは,その手の英雄ではなかった.言うなれば,混迷の時代が反動的に醸し出す一種の気分のようなものの代弁者,もしくは伝導者.それがラスキンという存在の正体であったように思われる.
 西洋における近代建築史は,建築の近代様式を模索する歴史である.それはすなわち,新たに到来した近代市民社会における建築はどうあるべきかを問うプロセスでもあった.王侯貴族のためでも,教会のためでもない,市民社会のための新しい建築の形とはなにか.そしてアメリカは,自由や平等といった理念によって成立した,それこそ市民による市民のための新興国家である.ヨーロッパのように拠って立つべき建築様式の伝統基盤をもたないアメリカにおいて,近代建築様式を獲得する闘いは,まさしく,市民国家としてのアイデンティティとプレゼンスを賭けた闘いにほかならなかった.なればこそ,近代社会における人間らしさとはなにかを問うたラスキンという「時代の気分」は,このアメリカという文脈において,独自の受容の経過をたどるのである.
 一九世紀西洋とは,近代アメリカとは,なんだったのか.本作には,建築という範疇を軽々と超えて,世界への関心と想像をかきたてるスケールの雄大がある.南原繁記念出版賞の名にふさわしい,若々しい野心とエネルギーに満ちあふれた,堂々たる大作である.
(中井 祐/東京大学教授)

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