シリーズ脳科学[全6巻]


刊行にあたって

 脳は人の最も精妙で複雑な器官である.人が人たる由縁は,脳の働きにある.脳はこころを宿し,そのこころが私たちの行動を律しているように見える.人を理解するには,こころを,そしてその物質的な基盤である脳を理解する必要がある.
 脳は昔から医学の研究対象として,重視されてきた.しかし今では,脳の科学は生命科学だけでなく,情報科学,人間科学その他多くの学問に支えられた総合科学となっている.その脳科学の,近年のすばらしい発展を見ていただこうと,理化学研究所脳科学総合研究センター発足10周年を契機に企画したのが本シリーズである.
 脳科学の広がりとその新しい発展を6つの分野に区分けして体系的にまとめ,その全貌と相互のつながりがわかるように意を注いだ.脳科学総合研究センターで活躍している研究者のみならず,日本の広い分野の研究者に協力いただいて,脳科学の基礎,新しい手法と広がり,さらに将来の発展方向が一望できるように配慮したつもりである.専門家ばかりでなく,社会人,学生にもその実情を理解していただけるとありがたい.
 各巻の順番に意味があるわけではないので,このなかから,好みの順番で読んでいただき,脳科学の壮大な広がりを見ていただくとともに,これらが次第に融合していく様を理解していただければ幸いである.

     理化学研究所脳科学総合研究センター(理研BSI)長 甘利俊一


推薦者のことば

膨大な脳研究を合理的に整理     ――養老孟司

 現代脳研究の概説書が欲しい.関連分野の人に限らず,それはだれでも思うことではないか.脳研究なんて,自分の分野とは関係がない.そう思っている人は,ただそう信じているだけのことである.
 ところで問題は,現代の膨大な脳研究を,どう整理するか,である.なにしろ医学生物学,工学だけでなく,じつに多くの分野を含んでしまう.今回のシリーズはそれを六分野に分けている.分け方を見ると,とりあえず実際的で,かつ合理的になっていると思う.時代とともに,やがてそれが変化していくのは,むしろ当然のことである.
 こういうシリーズが欲しいと心から思ってきた.それが私が生きているうちに,しかもご縁のあった東京大学出版会から実現するという.これはたいへん嬉しいことである.

脳科学 統合 コンシリエンス への里程標     ――福岡伸一

 生化学者にとって脳は扱いやすい対象である.柔らかいのでつぶしやすく,繊維質も少ないので容易にホモジナイズできる.こうして生化学者は脳内の分子を逐一精製し,記述してきた.その結果判明したことは何か.それは,分子がミクロな自動車のように脳内を走り回っていることは確かだが,脳内の交通システムのほとんどすべては生化学者が脳をホモジナイズした瞬間に失われてしまうということである.したがって,次世代のパラダイムとして必要なことは記述された分子の関係性を再構築するということにつきる.それはもちろん容易なことではない.分子の種類は有限だが,その関係は無限だから.しかし交通システムには何らかの統合原理があるはずだ.
 脳科学の最新の知見,特に関係性の議論をそれぞれの最先端を走る著者たちが網羅した本シリーズは,脳科学の 統合 コンシリエンス のための重要な里程標となるに違いない.



第1巻 脳の計算論  深井朋樹(理研BSI計算論的神経科学研究グループ・ディレクター)編

 脳科学の究極的目標は脳を情報処理システムとして理解することである.そのためには,脳を理論的に再構成する必要がある.近年,脳の情報処理を生物学的基盤に立脚して理解する計算論的神経科学が生み出され,急速に発展してきた.本巻は,この分野の基礎から最先端の成果までを含む,はじめての本格的な教科書である.

第2巻 認識と行動の脳科学  田中啓治(理研BSI認知脳科学研究グループ・ディレクター)編

 ヒトの脳活動に対する非侵襲的な計測法やマルチ電極法などの計測法の発達によって,認識や行動制御などのメカニズムをシステムレベルで明らかにする研究が急速に進展している.本巻では,脳神経系の代表的なシステムである視覚認識系,運動系,認知制御システム,記憶システムを取り上げ,基本的な考え方から最先端の研究までを解説する.

第3巻 言語と思考を生む脳  入來篤史(理研BSI知的脳機能研究グループ・ディレクター)編

 脳は神経系の先端に生じ,進化が進むにつれて大きくなり,それが処理する情報もより複雑で高次なものとなった.その最も高度に発達した機能の一つが,人間の言語機能である.人間は言語を使って思考し,コミュニケーションをとり,社会を形成する.本巻は,脳科学における言語・概念形成の脳神経メカニズム,およびその進化と発達について概観する.

第4巻 脳の発生と発達  岡本 仁(理研BSI神経分化修復機構研究グループ・ディレクター)編

 神経回路は脳が働くための基盤であり,神経細胞が誕生し,回路を形成する過程の解明は,神経発生学最大の問題である.本巻では,これらを大脳や海馬の形成に重点を置いて解説する.また脳の各部分が特徴的な性質を帯びてくる脳の部域特異化の基本原理,またその進化における保存性や脳の構造や機能の多様化との関わりなどについて解説する.

第5巻 分子・細胞・シナプスからみる脳  古市貞一(理研BSI分子神経形成研究チーム・リーダー)編

 脳は,数百億個以上の神経細胞が互いに数千から数万個のシナプスを介して可塑的に情報伝達しあう複雑・精微な神経ネットワークである.そのかたちとしくみには膨大なゲノム情報が使われている.本巻では,近年急速な発展をみせる分子・細胞・シナプスの脳科学の基礎と最新の研究成果について解説する.

第6巻 精神の脳科学  加藤忠史(理研BSI老化・精神疾患研究グループ・ディレクター)編

 精神の病態である精神疾患の研究は,分子レベルでの研究と脳画像研究や心理・行動のレベルでの研究をつなげ,統一的理解を可能にする一つのアプローチとなりうるものである.本巻では,現在急速に進展しつつある精神疾患の脳科学研究の最前線を紹介する.

※書籍のご注文は,各巻の書誌ページからお願いいたします.


各巻詳細

第1巻 脳の計算論

 第1章 総論(深井朋樹)
 第2章 ニューロンとシナプスの数学的モデル(深井朋樹)
 第3章 リズム活動と位相応答(青柳富誌生)
 第4章 神経ダイナミックスと確率過程(加藤英之)
 第5章 意思決定とその学習理論(中原裕之)
 第6章 スパイクの統計論(岡田真人)
 第7章 スパイクニューロンの回路モデルと認知機能(深井朋樹)


第2巻 認識と行動の脳科学

 第1章 総論(田中啓治)
 第2章 知覚・認識・選択的注意(田中啓治)
 第3章 運動の制御(永雄総一)
 第4章 記憶(中沢一俊)
 第5章 行動の認知制御(渡邊正孝)


第3巻 言語と思考を生む脳

 第1章 総論(入來篤史)
 第2章 ヒトの言語機能(本田学)
 第3章 言語の発達(馬塚れい子)
 第4章 動物の音声コミュニケーション(岡ノ谷一夫)
 第5章 概念形成と思考(山崎由美子/入來篤史)
 第6章 コミュニケーションと社会(友永雅己)


第4巻 脳の発生と発達

 第1章 総論(岡本仁)
 第2章 脳の基本設計図と進化・多様化・機能障害(岡本仁)
 第3章 大脳皮質の形成機構(宮田卓樹)
 第4章 非対称分裂による神経細胞の誕生(松崎文雄)
 第5章 大脳皮質と視床の部域化(下郡智美)
 第6章 神経軸索の伸張とガイダンスを制御する分子機序(上口裕之/戸島拓郎)
 第7章 神経細胞分化と可塑性(近藤亨)
 第8章 学習,可塑性,成体ニューロン新生(久恒辰博)


第5巻 分子・細胞・シナプスからみる脳

 第1章 総論(古市貞一)
 第2章 神経細胞のかたちとはたらき(端川勉/平瀬肇)
 第3章 脳神経系とゲノム(古市貞一)
 第4章 神経細胞間ではたらくシグナル伝達(山口和彦/定方哲史/古市貞一/吉原良浩)
 第5章 神経細胞内ではたらくシグナル伝達(尾藤晴彦/有賀純)
 第6章 シナプスの形成と動態(岡部繁男)
 第7章 シナプス可塑性(津本忠治/真鍋俊也/狩野方伸/田端俊英)
 第8章 分子レベル,細胞レベルの脳科学の展望(御子柴克彦)


第6巻 精神の脳科学

 第1章 総論(加藤忠史)
 第2章 人格・行動の変化と前頭葉損傷(村井俊哉)
 第3章 トゥレット障害(金生由紀子)
 第4章 快情動と依存(池田和隆)
 第5章 統合失調症(吉川武男)
 第6章 うつ病と神経可塑的変化(楯林義孝)
 第7章 双極性障害(加藤忠史)
 第8章 PTSDと解離性障害にみる記憶と自己の多重性(西川隆)
 第9章 ナルコレプシーと睡眠制御機構(本多真)