もうひとつの馬文化 −テラコッタ馬像を奉納する人々−

インド中西部・グジャラート州の北部にトゥブラージュという小さな村落がある.中央付近の小山の頂上には社があり,そこは無数のテラコッタ馬像に囲まれた聖域になっていた.赤茶色の真新しい馬と古く黒ずんだ馬は,ひしめき合って一つの薄暗い杜を形成し,みな法悦の表情を浮かべ,口を丸く開けたまま東を向いている.大きな白髭を携えた社の世話役が,参拝者の前で火供用の供物に油を注ぐと,煙は勢いを増して白く立ち上り,幾重にもなびく白い祈祷旗に届き,そして祭壇のひと際高くに並んだ馬の口に吸い込まれていった.馬像の額に施された生贄の山羊の血は,もうとっくに素焼きの生地に吸い込まれ,祭壇にはかすかな生臭さだけが残っていた.


左:村の社に奉納されたテラコッタ馬像(グジャラート州ポシナ村)
右:アイヤンナール神に奉納された馬像(タミル・ナードゥ州東部地方)
先住部族民の多く住むこの地域には,テラコッタ馬像を願掛けとして奉納する習慣がある.特に,日本の正月に相当するといえるディワーリや春祭りホーリーの頃,村々は参拝者で賑わう.ここでは高さ30〜80cmほどのテラコッタ馬像が,神の乗物あるいは祖先神とみなされ,願掛けにあるいは大願成就のお礼に社に奉納される.
インドでは,信仰対象となる神や,奉納馬像の意匠の違いこそあるものの,テラコッタ馬像を奉納する習慣が各地にわずかながら残っている.その習慣は,先住部族民あるいはインドの土着ともいえるドラヴィダ語族系の文化に色濃く継承されている.例えば,南インド,タミル・ナードゥ州東部では,各村に必ずひとつ祀られる村の守護神アイヤンナールの社に,毎年あるいは数年毎に巨大なテラコッタ馬像が奉納される.
馬文化はアーリア人によってもたらされ,アーリア人によって占有されてきたという固定観念はインド国内でも未だ根強い.また,ドラヴィダの馬の造形は,先進民族に対する憧憬と畏怖の衝撃から誕生したものだとする,彼ら自身の馬文化の存在には否定的な説も広く受け入れられている.しかし,太古の森・ボパールの洞窟壁画にまで遡ることのできる,先住部族民たちの狩猟や騎馬戦時の馬利用,そして現代に踏襲される祭祀・儀礼の場に登場する馬像や絵の位置付けや造形表現の独自性は,アーリア系の馬文化とは異質の馬文化があった可能性を示している.
ドラヴィダ語族やその他の先住部族民らの世界の中にある充分に熟成された,もうひとつの馬文化の証を調査していこうと思う.この文化の黎明期の謎に迫り,興隆期の馬使用の実態を知り,やがて生活の場から生きた馬がかい離し,祭祀や儀礼にのみその姿が遺されていくまでを辿りながら検証することで,初めてインドの馬文化の全体像が見えてくるだろう.


左:グジャラート州ポシナ村の馬像奉納
右:お礼参りの参拝者(グジャラート州トゥブラージュ)







