『戦後日本の原点を見つめなおす』

2007年4月16日 - 22:13

『南原繁の言葉―8月15日・憲法・学問の自由』刊行記念 トークセッション
立花 隆 (評論家・東京大学大学院情報学環特任教授)× 辻井 喬(小説家・詩人)

2006年8月15日,東大安田講堂で開催された「8月15日と南原繁を語る会」.その内容と南原繁の主要演説をまとめた『南原繁の言葉―8月15日・憲法・学問の自由』の刊行を記念して,2月24日に編者の立花隆先生と執筆者のお1人である辻井喬先生との対談が、3月9日に立花隆先生の講演会が行われました.その要旨を2回に分けてご紹介します.今回は立花先生,辻井先生の対談をご紹介します.(文責:東京大学出版会編集部)

■戦後日本の原点をつくった南原繁

立花:南原繁というと,僕の世代は活字を通して存在は知ってるんです.実際に顔を見た経験も多分あったんだろうけれど,いつ,どの機会に,どういうふうにしてあった,という明確な記憶がないぐらいの,ぼんやりした存在です.

しかし,戦後日本の原点というものを考えるときに2人の人,つまり吉田茂と南原繁というのは欠かせない存在であるわけですね.吉田茂は,政治史のなかで特筆されている人間ですから,知らない人でも知っているような気がして,その存在の大きさというのをそれなりに認識しているわけですけれども,実は戦後日本というものを考えたときに,南原繁というのは吉田茂以上に大きな役割を果たした.その意味はまさに,この本『南原繁の言葉』をたどっていくとわかります.日本がいま現在このようにあるのは,戦後に南原さんが東大の総長で,東大の演壇を通して次々発信を続けていった,その言葉の力の影響がすごく大きかったわけですね.

南原さんという人は,憲法にも教育基本法にもかかわり,戦後日本の骨格部分を学問のサイドから作り上げた人であったわけです.そのうちの一角,教育基本法はもうすでに改正されてしまいました.おそらくいまの人たちは,教育基本法が改正されることの意味をほとんど正確に認識しないまま,政治の日常的な流れの一コマみたいな感じで受け止めちゃったのではないでしょうか.

いまの政治の流れからすると,そう遠くない時期に,憲法も改正されるのではないかと十分に予想される.そういう時代であるからこそ,南原繁があの当時,一体何を考えていて,どういうことを語って,そのことが戦後日本にどういう影響をもたらしたのか.そのあたりを考え直すべき時だと思い,去年のシンポジウム(「8月15日と南原繁を語る会」)をやりましたし,そのまとめとしてこの本ができたわけです.

さて,辻井先生は,この本『南原繁の言葉』のなかでもお書きになってますように,南原繁と吉田茂という,まさに日本の戦後をつくった2人の人物に直接会って言葉を交わした,いまや大変めずらしい存在(笑)です.年齢的にというだけでなく,辻井先生は非常に独特な立場,つまりお父さんが衆議院議長だったということで,政治の中枢とつながっていた.戦前からそういうところに深くかかわってきたことについては,辻井先生の『父の肖像』という本を読むとよくわかります.そういうわけで,まず南原と吉田の印象みたいなところから,語っていただきたいと思います.

辻井:現在振り返ってみると,2人とも非常に魅力的な人物でした.ただ当時の私は「吉田茂は敵で,南原繁は疑わしき理想主義者だ」と思っていた.で,南原さんにも,私はあまりなついていなかった.理由は非常に単純です.彼はマルクス主義者じゃなかったから.それだけの理由です.しかし去年,「8月15日と南原繁を語る会」に誘われて,それがきっかけで南原さんの書いたものなどをあらためて読んでみると,「あっ,こんなに偉い人だったんだ」と再認識をいたしました.

いまお話がありましたように,吉田茂首相は南原さんが全面講和を唱えたのを「世論におもねるだめな学者.曲学阿世だ」と言って――これは実質的にはののしったといっていいでしょう――2人は堂々と論争したわけです(※1950年).

いまになってみますと,そういう論争が存在しえたということが,すごく懐かしい.なぜなら,いま政治家で,大学の総長と議論できるレベルの教養を持っている人はほとんどいないんじゃないか.知識もなければ,判断力もない,歴史に対する洞察力もない政治家が,何となくマスメディアの流れに沿って,「憲法改正」だとか「教育基本法の改正」とかいうのは,まことに危ない感じになってきたなと思います.

その当時,敵だと思っていた吉田茂という人も,人間としては魅力がありましたね.生前,私の父親と吉田さんは親交がありましたから,父親が死んだ後にあいさつに行ったら,「いやあ,君のおやじが死んで,ほっとしたよ」と.どうしてですかと言ったら,「彼が生きていると,おれのこの大磯のうちまでいつ買われてしまうか,はらはらしてたんだよ.まあ,死んでこんな安心なことはないよ」というのがお悔やみの言葉でございました(笑).そういうことがいえるウィットみたいなものがあった人で,「これはおもしろいおじいさんだな」というふうに思ったのを覚えています.

南原先生とのおつきあいはむしろ,東大を卒業してからです.南原先生の教え子みたいな立場にいた高沢寅男さんが1972年に社会党から代議士に出て当選をした.そのお祝いの会で久しぶりに南原先生に会って,それが長時間会った最後になりましたけれども,活字や何かで読んでいる以上にユーモアのセンスのある人で,やっぱり南原という人は偉い人だったんだなと思ったのを覚えています.南原繁という人は,大学の総長であったばかりでなくて,その教育を受けた卒業生の面倒はかなりよく見ておられたようです.

立花:辻井さんは大学に入った途端に,共産党の青年共産同盟に入るわけですね.何で入ったかというと,それを誘った人がいるんですね. 戦後日本の,特に大学では,圧倒的に共産党の力が強くて,多少政治的に目覚めた人はほとんどみんな共産党に入るような時代でした.1950年になると共産党の内部で大分裂が起こります.片方は国際派,もう片方は所感派といって,国際派は宮本顕治がヘッドにいて党・地方と分裂していて,所感派は武装闘争みたいな方向に行って,という時代でした.

辻井:東大に受かって入学式の日に行ったわけですね.そしたら屋台みたいなものがたくさん出ていて,そのうちの一つに声をかけられて.ディテールはよく覚えていませんが,屋台の前で渡辺恒雄さん(※現・読売新聞主筆)が「おい,だいたい東大に来たら優秀な学生は青共に入ることになってるから,おまえ入れ」というわけですね.で,ああ,そういうもんかなと思って,じゃ入ります,と.そのとき氏家斉一郎さん(※現・日本テレビ会長)もいたんですね.氏家さんと渡辺さんは東京高校時代から運動して親密な仲だったらしい.その2人が,誘ったら入りそうな新入生を見ていて,私はその網に引っかかったんでしょうな(笑).

立花:辻井先生の話のなかにちらっと,「吉田茂は敵で,南原繁は疑わしき理想主義者」だと思っていたという話がありましたが,南原さんというのは,基本的には非常に強烈な反マルクス主義者です.戦前からそうです.しかし,戦前の日本の大学というのは,マルクス主義の影響が圧倒的に強かったわけですね.その時代を経て,今度は軍国主義のほうへどんどん流れるという,そういう大きな流れがあったんですが,そのどちらの流れに対しても,非常に強烈な反対の立場を貫いた人が南原さんであったわけです.

戦後の学生運動の主流は,1950年代の前後までは基本的に共産党が支配していたわけですね.南原さんの東大総長時代(〜1952年)はそういう時代で,学生運動をやる学生たち,それこそ辻井さんみたいな学生や,社会党系の人たちも含めて少しでも政治に関与するような学生たちにとっては,南原総長は一種の「敵」でありました.しかも,彼は大学の規律というものを大変重視した人ですから,ちょっとでも違法行為的なことがあると厳しく学生を処分したわけです.あの時代に退学処分になった人たちが相当いた.

とはいえ,南原先生は自分が処分した学生たちと最後まで,つまり,ちゃんと復学するまでつき合う.あるいは復学しないで社会に出たり,人によってはその後さらにいろんな運動を熱心にやって牢屋に入るような人も出るわけですね.そういう人たちの面倒すら南原先生はずっと見ている.

その一例が安東仁兵衛です.彼の思い出話で,自分が刑務所にいるときに,刑務所長がおまえちょっと来いというので所長室に行ったら,そこに南原先生がいた,というようなことが書いてあるわけです.南原先生は,学生運動をするような学生たちにとって,学生闘争の現場では正面の敵だったんだけれども,実はものすごく人情が厚いというか,そういうところがいろいろあったという話を聞きます.

辻井:そうですね.おそらく南原先生とすれば自分は教育者で,教育者だから規律に違反した学生は処分しなきゃならないが,そのような学生が出たことは,教育者としての自分の至らなかったところであると.したがって,その責任を負って,処分した学生のその後について,自分ができることがあったらしなきゃいけないんだという,教育者としての一種の使命感を持っておられたんじゃないかなと思います.

それをさかのぼっていきますと,南原先生が法学部長だった時代に,法学部から多数の学徒出陣の学生を出した.それを自分は防げなかった.戦争を防げず,自分が指導している学生を戦場へと見送らなきゃならなかった.その悔いというのか,責任をまっとうできなかったという思いが一番原点にあったんじゃないかと思います.

立花:そこが原点でしょう.

僕はこの本の南原さんの文章をもう一回読み直しまして,やっぱりこの人の言葉は一つひとつが重みがある.いまの活字メディアに盛られている言葉とは違う深さ・重さみたいなものを持っていて,普通の本を読むような感じですらすら読むと,ほとんど頭のなかをすり抜けて,本当の意味は伝わってこない.しかも,使う言葉が「理想」とか「国家」とか「真理」とか,ある意味では手あかがついたみたいな,いまの人間だとちょっと恥ずかしくてそのままストレートには使いたくないような言葉が,次から次へ出てくるんですね.丸山眞男さんも南原さんについて,非常にストレートな表現の価値観を正面から押し出すけれども,それが全然おかしくない人だった,と言っている.そういうところがありますね.

辻井:「正義」や「真理」という言葉は,南原さんが使えばあまり浮かないんです.とっても不思議です.南原さんの言葉は,説得力,重量感がある.多分,南原さんが「美しい日本」と言っても,誰も笑わなかったと思うんですね(笑).

立花:辻井さんがこの本でお書きになってることの一つに,南原さんの短歌のことがあります.『形相(けいそう)』という有名な歌集がありまして,日本の暗黒時代,つまり戦前,社会的発言がほとんどできない時代に,南原さんは,普通だったら表現できない内容を短歌でずっと書きつづけた.辻井さんは,そのなかに南原さんの独特の人格が生まれるもとがあったんだ,というようなことをお書きになっています.

南原さんは,実際に自分が書いたものが世に出る寸前まで徹底的に手を入れたそうです.しかも,実際に南原さんは演壇からしゃべるというかたちで自分が書いたものを発表することが多かった.しゃべる場合でも,ものすごく綿密に原稿を用意して,その原稿に演説の直前まで手を入れ続けていたというんですね.それぐらい徹底的に彫りこんだ言葉を使う.多分,短歌をつくる過程でも同じ作業を続けていたんでしょうが,そういう重みというものを感じます.普通だったらまったく使わないような言葉が突然出てきたりする.

たとえば僕の印象に残っているのは,戦争が終わって間もなく,亡くなった学生を悼む会での告文.末尾で「冀(こいねがわ)くば受けよ」と,ものすごく難しい漢字を使って表現してますよね.はじめは気がつかないんです.読み返してみると,一語一語が刻み抜かれたような言葉であるとわかる.ですから『南原繁の言葉』の南原さんの言葉は,本当に熟読玩味に値する.これを読んではじめて,この日本という国がどういう流れをたどってきたのかということがわかる.僕は日本の近現代史にとっては,明治維新よりも,おそらく戦後のあの数年間の大変革のほうがはるかに大きい意味があると思うわけですね.

辻井:『形相』には本当にいい歌がたくさんあります.歌人として一流の域に達していると私は思います.このように,言葉についてかなりするどい選択眼を持つ方が,「真理」とか「真の立国」というような言葉を使うのは,まさに美しい.他方,何にも歴史の勉強をしてこなかったような人間が,「美しい日本」なんぞというのとは,まったく重みが違う,ということがあると思います.

立花:辻井さんはこの本で,「われわれ左翼学生は執拗かつ組織的に南原総長を攻撃した」と書いています.その「執拗かつ組織的に」のあたりはどういうふうにおやりになったのか(笑).

辻井:いや,答弁を逃げるわけじゃないですけれども(笑),「執拗かつ組織的に」というところは,やっぱり指導部がやりましたんで.私はその都度,「けしからん!」とか何とか後ろで言って,野次を飛ばすというふうなことはやりましたけれども.

南原さんに対しては,学内ばかりではなくて,メディアも比較的冷たかったんじゃないかなと思います.「学者だから現実を知らない」というように.そういうものの考え方の構造としては,吉田茂とメディアの中枢部の感覚は同じだったと思いますね.

つまり,東西が冷戦で対立しているときに,南原さんがいうような全面講和なんてありえないじゃないかという考え.だから,吉田茂のいうようにまず西のほうと講和を結んで,それから東と順々にやればいいじゃないかと.非常にプラグマティックな判断.しかし,そのときの南原さんはこう反撃します.「学者だから,というけれども,理想を現実に近づける,そして現実を理想に近づける.これこそ学者の任務じゃないか.何が曲学阿世だ」.これはまことに適切な反論だったと思います.

■体制順応主義の変革

立花:辻井さんはこの本で,南原さんの思想形成のプロセスについて書いている.そこで南原さんといまの若い人たちの思考形成プロセスを対比してみると,いまは受験のための記憶を中心とする勉強に精力を使い果たして,大学に入ったあとは思考力を鍛えるというよりは,学期末試験にいい成績を取ることに努力を集中する.そして,社会に出てからは本を読まない.そういう若者が圧倒的に多いんです.僕は東大の学生とつき合っていますが,彼らの相当部分が,自分でものを主体的に考えて何かをするということができなくなっている.

かつてあたりまえであった,南原さんのような,自分をブラッシュ・アップする知的なプロセスみたいなものは,いまの社会ではほんとに失われています.そしてそれがますままひどくなっています.

去年から「ゆとり教育」100 %の世代が大学に入ってきています.学生の質は,これまでとまるっきり違う.いま,大学の先生の間では,大学生を大学生と思うな,あれは高校生だと思え,というのが常識になっているような時代です.おそらく,これからこの人たちが社会に出て現場の担い手になるとき,日本というのは相当,知力の低下というか,社会水準の低下ということが起こるんじゃないかと,実は辻井さんが書いたものを読んで,ものすごく感じたんです.

辻井:だいぶ前ですけれども,私は東大で半年教えたことがあります.産業構造論か何かでしたが,最初の印象では,学生はまじめなんですね.教室ではせき一つ聞こえないくらい.まだそのころはパソコンを打つ学生はそんなに多くなかったものですから,体を斜めにしてノートを取る.私が学生のころは,先生に意地悪な質問をして困らせるのが楽しくて教室に出てたわけですから,そういう姿を見てびっくりして,「教師のしゃべることなんかただ聞くだけでいいんだよ.そしてレジュメを作ればいい.わからないところはあとで本を探し出して読めばいいじゃないか.そんな逐一ノートを取ることは必要ないよ,まあ,そんな値打ちのあることもしゃべらないしね」というようなことを言ったんですけど,それでもノートを取るのをやめないんです.

講義には300人以上の学生がいたと思います.最初,私は人気があって学生が多いのかと思ったら,そうじゃなくて非常勤講師は採点が甘いから,と(笑).がっかりです.

また,学生から内容についての質問が出ないんですよ.「聞き取れなかったからもういっぺん言ってくれ」,というような質問しか出ない.

ところが,4回目か5回目の講義で,内容に触れる質問をした学生がいました.「先生は,戦後日本の産業政策の否定的な面ばかりに力点を置いていらっしゃるようですが,産業政策がよかったから経済が発展したのではないかと私は思っていました.どうも私の判断とちょっと違うようなんですけれども」と.僕はうれしくなりましてね,「君の意見はまことにいい」といって,いままでの産業政策の効果は僕も認める.しかし,これからは既存の産業政策ではいけないと思うから,否定的な面に力点を置いたんだ,というようなことを話しました.

途中でちょっと気がつきまして,その学生に何年生かと聞いたら,「4年です」と.就職は? 「決まってます.通産省です」.そう,つまり,もう行く前から通産省の一員の意識になっているわけです.それはもう大変びっくりしましてね.

秀才ばかりを採った企業や組織は,しばらくすると必ず元気がなくなるように見えます.秀才はどこへ行くかというと,新聞やテレビ.それから役所に行きます.そして銀行.日本の産業のなかでどこがだめか,おわかりになると思うんです.

その後,地方や私立でも教えてみようと,まあ6つくらいの大学で講義をやりました.長野の信州大学は,おもしろい学生が多かったですね.経済学部で講義をしましたが,期末試験で3問出すことにしました.1つはまじめに授業に出てれば書ける問題.もう1つはまったくの応用問題,そしてそれらの中間.ただし「自分は小説や詩を書かせたら大したもんだと自信があるやつは,この3つの問題を解く代わりに小説や詩を書いて出してもいいよ」と言ったんです.そうしたら7人か8人,小説を書いてきた学生がいましたよ.東大だったら,絶対いなかったと思います.ですから,どうも秀才校,一流校というのは考えもんじゃないか.もし南原先生がご覧になったら,やっぱり嘆かれたんじゃないだろうか,と思うようになったんですね.

立花:この本に収められている言葉を通してもわかるように,南原さんが繰り返し,特に戦後言い続けたことは,日本の文化の根底にある体制順応主義というものを変えなくてはいけない,ということでした.自分はこうだ,と主張し,その確立した自我から出発する.自分の言葉をもって主張しつづけ,そういう人同士が議論する.その段階にいくと主観と主観とのぶつかり合いになる.意見を徹底的にぶつけることによって,そこに普遍性がある第三の道,いわば弁証法的な議論の発展ということが生まれる.だから,基本はまず個々の人間が徹底的に自分が信じるところを主張する.それなしには,そもそも出発しない.

ところが,日本人が最も苦手とするのがこうした主張,議論で,ほかの人の何かをコピーして引っ張ってくるのは昔からものすごく得意です.そして秀才というのは,そのコピーのつなぎ目をうまくつくろって,一つのまとまりをつくることができる.それが立派に通用してしまう.そういう文化が日本では延々とあったわけですね.だから,南原さんは戦後一貫して,体制順応主義を根本的に変えなきゃいけないと主張した.日本の,一種の文化大革命的なものを要求する要素というのが,南原さんの姿勢には非常に大きかったと思うんですね.

南原さんは,日本人は体制に引きずられてずるずると流れていきやすい,そういうことの延長上に,実は戦前の戦争を通しての国家の破綻ということが起きた,と述べている.いまの日本でも,個々の社会の構成メンバーが個性を失って,ほんとに議論らしい議論をしないで流されてしまっていないか.それがますますひどくなっているのではないか,という気がするんです.

辻井:そうですね.自分の意見を持つということ.これは丸山眞男先生もやっぱり挫折感を味わった点じゃないかと思います.つまり,主体的判断をする大衆が生まれることで,戦後民主主義は大地に足がつけられる,というふうに丸山先生も思っていたが,主体的に判断をする大衆層はついに生まれなかった,というような感じが,丸山先生の晩年には私はあったんじゃないかという気がしています.そこを問いただす前に,丸山先生も亡くなってしまったのですけれども,自分の意見を個人個人が持たなきゃいけない.しかし,持たせてくれない社会システム,というものもあるんですね.

たとえば私が新聞やテレビの記者の方に憲法問題について質問をされて,「私は憲法を変えるべきだと思う」と言うと,彼らはびっくりするわけです.「あなたはいつ改憲派になったんですか」って聞くから,「いやいや,9条は拡張解釈などができないようにもっとはっきり直すべきだ.『徴兵制反対,核武装反対,海外派兵反対』とね.そういうふうに直すんだったら改憲に賛成だ」と言うと,相手は困るわけです.いわゆる「改憲派」ではないけれども,「護憲派」でもない.どちらにも分類できない意見を言っている限り,絶対取り上げてくれない(笑).

ですから,いまの日本社会のシステムは,主体的判断をする人間の存在をどうも愉快でない存在,というふうに見ている,そういった性質があるんじゃないかなと思います.何事も「世の中の流れですから」と押し切られちゃう.「いや,流れが間違ってるんだ」という意見が出てこない.そういう問題にぶつかるたびに,僕は南原先生だったらどういうだろうといつも思うんです.

立花:日本の社会は,体制に呼応しないで違う意見をあくまで貫くということは大変難しい社会で,それをするような人間は生きにくいということが基本的にあるわけですね.だから,生きにくくてもいいんだという,その覚悟がはじめからないとできません.その覚悟さえあればけっこうできる.ある意味で大変だと思われていることが,実はやってみれば何でもないということはたくさんあるわけです.

ところが,日本では小学校からすべての教育が体制順応.「赤信号,みんなで渡れば怖くない」という有名なせりふがあるように,みんなと違う方向に行こうとすると,それはいろんな意味での生きにくさにつながる.小学校・中学校の場合にはしばしばいじめになっちゃうわけですね.大人の社会でもそういう生き方を選択すると,一種のいじめに必ず遭います.当分の間こういう社会が続くのでしょうね.

辻井:立花さんは「田中金脈の研究」というのをお書きになりましたね.田中角栄っていう人はなかなか魅力もあるけれども,「地獄の沙汰も金次第」ということに徹していて,ちょっとおかしいんじゃないかとみんな思ってたいたけれど,立花さんが書くまでだれもそのことをいわなかったですね.あの文章が出てから一気に雰囲気が変わった.体制順応ではなかったものをまとめられたのは,何か特別に判断があっての話ですか.

立花:その「体制」というのはどこの範囲で「体制」か,ということがあるわけです.「田中金脈の研究」の場合ですと,僕はそれを書く前に週刊誌の世界で仕事をしてまして,その世界では,田中さんの本質が金次第の人間だというのは,ほぼ共通認識としてすでにあったわけですね.週刊誌の世界だけでなく,新聞記者にも僕が書いたことはほとんど知っていたという人がけっこういた.だけど,それを新聞は書かなかった.
いろんな人が新聞記者を批判しますけれども,僕は必ずしもそうではないんです.基本的に,新聞の世界と週刊誌の世界はカルチャーが違います.記事にするクライテリア,基準が明らかに違うわけです.田中金脈の問題は,新聞の記事にはフィットしない内容だったと思います.だから,僕は新聞記者をあの問題で批判するということはない.逆にその後,国会や何かで次々に取り上げられて社会的な大事件になっていくと,今度は田中角栄を攻撃することのほうが「体制」になっちゃうわけです.
 
■日常生活の問題としての憲法9条論

立花:さて,『南原繁の言葉』に戻りたいんですが,この本にある南原さんの「第9条の問題」という論文は,まさにこういう意見をちゃんと聞いておくべきだ,と思わせる内容です.彼は一貫して,9条の存在価値というのは世界史の流れにおいて意味があると,非常に明快に語ってる.

僕も「9条」というのは日本の最も大事な国家資産であると思っています.先日,僕は「週刊文春」の書評のページで経済同友会の終身幹事である品川正治という人の『9条がつくる脱アメリカ型国家』という本を取り上げました.品川さんは学徒出陣のちょっと前の人なんです.つまり,形式上は学徒出陣のとき,帝国大学から出陣したようになっていますが,実際には三校生(京都大学)のときに戦争に出るんですね.

高校では当時,軍事訓練や軍人勅諭があった.軍人勅諭を学生に暗誦させるわけです.三高は京都ですから,師団長クラスが来た.軍人勅諭のなかに,「我が国の軍隊は世々天皇の統率し給う所にこそある」という最も有名なくだりがあります.ところが,三高のある学生がその師団長クラスの人の前で,「我が国の天皇は世々軍隊が統率し給う所にこそある」と言った.師団長は真っ赤になって怒る.その三高生は「違いますか.このとおりじゃないですか」と反論するんです.大騒動になろうとするんだけれども,今度は軍の幹部のほうが,騒動にすると大変な問題になりかねないというんで,おさめちゃうんです.だけれども,そのままでは済みませんから,結局その学生はしばらくあとに自殺します.その事件そのものの責任を取ったのが,三高の学生総代をやっていた品川さんなんです.彼は「責任を取って志願兵として前線に出ますから,それでおさめてください」といって,あとはずっと終戦まで死線を何度もくぐった.そういう人です.

品川さんは自分の経験を踏まえて,いまの9条改正論議というのがいかに甘いかと指摘している.本当の戦争国家の現実というのを知らない連中と,9条を持っていることの日本国の利益,価値を知らない人たちがしている稚拙な議論だ,と.

戦後日本の繁栄というのは,基本的に9条があったおかげだと思っています.日本が戦争をしないで済んだということ以上に,産軍国家システムのアメリカ経済が世界経済をある意味でリードしてきたなかで,9条を守ることによって,産軍国家体制に支配されず世界第2位の経済というものを築き上げた.戦後,日本だけがそれを現実にし,世界のトップクラスの経済を保ち続けてきたわけです.これほど見事な現実性を証明した経済モデルはない.このモデルを捨てるのは,バカとしかいいようがないわけです.

品川さんがもう一つ強調しているのは,9条を持ったことによって日本は世界のなかで独特のプレゼンスを示すことができたと.9条を捨てて普通の国になったら,日本の独特のプレゼンスなんてなくなっちゃいます.完全にアメリカの後ろにつき従ってちょろちょろ動いているだけの国ということになる.そのとおりだと思います.まさに南原さんの9条論と品川さんの9条論は,底のほうでつながっている非常に重要な発言.しかし,そういうものの考え方ができなくなっている人たちがいまの社会の大勢を占めつつある.特に若い層で圧倒的にどんどんそっちのほうに流れているというのは,僕はとっても怖いことだと思います.

辻井:私は品川さんを大変尊敬していまして,立派な人です.おっしゃるように,いまのわれわれの生活というのはやっぱり9条で支えられている,というようにいって少しも差し支えない.そういう意味で,憲法の問題というのはイデオロギーの問題でもなく,世界観の問題でもなく,われわれの日常的な感性の問題,あるいは日常生活の問題だというふうにいっていいんじゃないかなと思います.品川さんは経済同友会の終身幹事ですが,経済人・財界人のなかにも,少数なのは残念ですが,彼のような方もいるので,職業だけで見てはいけないなと,私は思っているんです(笑).

立花:品川さんのような人こそ,自分が信じることを体制に逆らってもとことん言い続ける人のまさに典型で,南原さんが「日本人はこうあってほしい」と願った,新しい世代の典型のような存在だという気がします.

南原さんの文章のなかでもう一つ非常に印象的なのは,歴史学者のランケがマックス王というドイツの王様に世界史を講じたときの話を紹介しているところです(『南原繁の言葉』所収の「新日本の建設」).マックス王が「指導的位置にある人物のみならず,全民族が一つの民族的犯罪を犯して不正な地盤の上に立って行動した場合,そして歴史の復讐を受ける場合,どう考えたらいいのか」という質問をした.それに対してランケは「全民族はそのために悩まなければならない」と答えたという.南原さんはこれを紹介したうえで,敗戦によって,日本人はそのために苦杯を呑まされるならば,最後の一滴まで呑み乾さなければならない,と書いている.これは南原さんの言葉の一つの核心部分で,しかも現代のいろんな問題に直結する言葉だろうと思うんです.

つまり,戦後しばらくの間は,日本という国家の過誤を日本人全体で背負わなきゃいけないんだ,ということは共通認識だったと思うんです.それがある時期から,もうやめてくれ,みたいな感じになってきて,責任を追及するのはもういい加減にやめろ,という意見がいまや若い層ではむしろ主流になりつつあるような感じを受けるんです.

辻井:おっしゃるとおりだと思います.そういう点で南原さんの考え方に非常にはっきり出ているのは,歴史観が明快だということですね.私なんかの世代になりますと,国の体制の大変化というのを経験してますから,つい,判断を保留しちゃうほうに傾きがちなんですけれども,南原さんはランケの歴史認識をご自分のものとして揺るがしたことがない.そういうところは南原さんの強みじゃなかったかなというふうに思いますね.

立花:ひとつ紹介したいのは,この『南原繁の言葉』に収められているのは,基本的に南原さんが主として東大の安田講堂で学生を集めて演説した内容です.オリジナルは,毎年一冊ずつ,南原さんの1年の発言を集めて本にされました.

その最初の本が『祖国を起こすもの』.この本には3つバージョンがあって,3つ全部が初版なんですが,版元が全部違うんです.一つは帝国大学新聞社.その次が東大協同組合出版部,そして東京大学出版会.つまり,このときはじめて「東京大学出版会」という出版社ができたわけです.実は東大出版会というのは南原さんがつくったんです.オックスフォードにしろ,ケンブリッジにしろ,ハーバードにしろ,世界じゅうの大学はちゃんとした出版社をみんな持ってる.東大はそれまでなかったので,それでははずかしいということでつくった.その前段階が帝大新聞社であり,協同組合なんてすね.

さて,終戦直後の出版物として有名な本に,『聞け,わだつみの声』というのがあります.『聞け,わだつみの声』は,最初は帝国大学新聞社から出て,それから東大協同組合出版部から出た.『聞け,わだつみの声』にはいろんな秘話がありまして,内幕本も出ました.最初に話が出ましたが,終戦直後の大学は共産党がものすごく大きな力を持っていて,『聞け,わだつみの声』を出した当時の協同組合は,事実上,共産党の支配下にあった.

 『聞け,わだつみの声』はめちゃくちゃ売れるんです.いまのベストセラーが及びもつかないほど売れ続ける.ですから,ものすごい印税が入るわけです.実はその印税の相当部分が消えた.どこに消えたかというと,共産党に流れて共産党の党資金になっちゃうんですよね.その事実が数年後に暴露されるんです.暴露したのが読売新聞社で,暴露した記者はだれかというと,ナベツネなんです(笑).彼は共産党の東大細胞の指導者だったから,金の流れを知ってたんですね.

辻井:『聞け,わだつみの声』について,私は編集の一番下っ端のほうで協力していました.戦没学生の手記のなかに,「自分はあしたか,あさってか,出撃して死ぬ.しかし,天皇陛下のために死ねることは自分としては永久の命を得たようなものだ」というような,天皇陛下を褒めたたえた遺書がたくさんあるわけです.これを載せるべきか,載せるべきではないかで大議論しました.いまになって思うのは,学生がそこまで洗脳されたという事実こそ,日本が戦争の準備をどれだけ徹底してやり,軍事国家となってしまったのか,という,悲劇の過程の証拠であるから,載せるべきだとも思います.だけど,そのころの私は浅はかでしたから,天皇陛下をたたえているものは,戦争を鼓吹したものだから,載せるべきではない,と言っちゃったんですね.いま思うと,それは間違いではなかったかと感じます.だから,いまは,載せるべきだったんじゃないかという考えに傾いてますが,そこは皆さんのご判断をいただきたいと思います.

立花:おっしゃるとおりで,まさにそういうものが載ってこそ,日本がなぜあの時代,あれだけの戦争にあれだけ全国民を巻き込むことができたかという,そのバックグラウンドが初めてわかるわけですね.

天皇陛下をたたえるような意見,そうでない意見の両方入れないと正しい記録にならないから,ぜひ入れるべきだと,非常に強く主張した人が何人かいたそうで,その一人が渡辺一夫さんです.『南原繁の言葉』の大江健三郎さんの文章に渡辺さんが登場します.大江さんはフランス文学者である渡辺さんに傾倒してきた人でして,その渡辺さんと南原さんが一緒に集会でしゃべるところに,大江さんが若者代表として参加したとき(1963年12月)の思い出を語っているわけです.

南原さんの言葉というのは,ものすごくブラッシュ・アップを重ねた,思想的にすごい言葉だと思うんですが,大江さんのこの本の文章は,また別の意味で本当にすごいブラッシュ・アップを重ねられた,内容が深いものです.

渡辺さんは,まさに南原さんが繰り返しいった日本文化の欠陥についてこう指摘していた.日本はルネッサンスも宗教改革も持たないまま,いろんなものを飛び越えるかたちで近代国家に一挙に突っ走ってきた,その国家の形成史そのものに日本の精神的な弱点がある,と.

そこで,ルネッサンスのユマニスムというものが,そもそも人類の精神史においてどういう重みを持ったものであるか,というようなことが,この大江さんの文章を通じておそらくくみ取れるはずです.

このように『南原繁の言葉』は,深読みするとほんとに深いんです.ですから,そう簡単に読みきれる本ではないし,簡単に読んでも十分には受け止められないだろうと思うんです.ですから,必ずしも売れる本ではない(笑).でも,とっても大事な本で,多くの人がこの南原さんの言葉をかみしめないと,日本はいま歴史的にどういう流れのなかで,どこにいて,どこに行こうとしているのか,というような,非常に大きな流れが見えないままになる.大きな流れを見えるようにさせる一端が,この本に盛られた南原さんの言葉にあると思います.

なお,5月6日(日)には,丸善丸の内本店3階日経セミナールームで,立花隆先生講演会「戦後日本の原点を見つめなおす――南原繁と戦後レジームの意味」が行われます.お近くの方はぜひお越しください.詳細はこちら

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  1. […]  ■辻井伸行さんの父孝さんの話 「幸せな人生が歩めるか、常に不安を感じてきた息子だったが、優勝の瞬間は『生まれてきて良かった』と感じてくれただろう。お世話になった方や、伸行の目となり手足となり付き添ってくれた妻に感謝したい」 【辻井さん優勝】「『生まれてきて良かった』と感じてくれただろう」辻井さんの父親 - MSN産経ニュース [PR] (18禁)恋愛するならPC☆MAX!メール・チャット・写メコンで(・∀・)イイ!!出会いが探せるよ 立花:辻井さんはこの本で,「われわれ左翼学生は執拗かつ組織的に南原総長を攻撃した」と書いています.その「執拗かつ組織的に」のあたりはどういうふうにおやりになったのか(笑). つまり,戦後しばらくの間は,日本という国家の過誤を日本人全体で背負わなきゃいけないんだ,ということは共通認識だったと思うんです.それがある時期から,もうやめてくれ,みたいな感じになってきて,責任を追及するのはもういい加減にやめろ,という意見がいまや若い層ではむしろ主流になりつつあるような感じを受けるんです. ‘ + title + ‘ - ‘ + basename(imgurl) + ‘(’ + w + ‘x’ + h +’) [PR] [stmx] - ソーシャルマーケットプレイス  米テキサス州フォートワースで開催中の「ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール」に出場している全盲のピアニスト、辻井伸行(つじいのぶゆき)さん(20)が、そのハンディを感じさせない卓越した演奏で全米を驚嘆させている。地元紙は「完全なる奇跡」「神々しさの権化」とまで称えた。  東京生まれの辻井さんは生来全盲で、4歳からピアノを始めると才能を発揮。天才少年ピアニストとして度々テレビなどでも紹介され、2005年のショパンコンクールでは「批評家賞」を受賞している。 「「奇跡」奏でる全盲ピアニスト」:イザ! [PR] ある盲点を利用し保証された金額を受取り続ける方法 * 時間を見つけては、ストレッチするのが習慣 * iigeeyahのblog * エイジングケアとダイエット […]

    ピンバック by zzgeeyah » Blog Archive » 「『生まれてきて良かった』と感じてくれただろう」辻井さんの父親 — 2009年6月8日 @ 13:24

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