認められたい欲望と過剰な自分語り
そして居合わせた他者・過去とともにある私へ
内容紹介
目次
著者紹介
他者を失い、データベース化する自己、自閉する自分語り…。いま、また別様に〈わたし〉を語ることとは、他者との共存、過去の救済とは、どう可能か。気鋭の著者が、戦後教育学、日中関係、台湾のフィールドワーク、アニメ、現代思想をも縦横に論じ、教育ということの可能性を考える。
はじめに 〈わたし〉を生成する学びへ
I 生成する〈わたし〉
1章 〈外部〉の終焉と共身体的自我へ
2章 回帰的な自分と教育の可能性
3章 過去の架橋と生成する〈わたし〉
II 語る〈わたし〉
4章 過去からの救済と語ること
5章 〈いま〉語る〈わたし〉
他者とのあいだに立ち上がる共感的身体――植民地台湾からみる
(1) 当事者の語る歴史を聞き取るということ
(2) 植民地台湾の教育と生活
(3) 「光復」後の社会と生活および教育
(4) 戒厳令解除以降の社会と次の世代
(5) 語り手は何を語ろうとしたのか
おわりに 過去への寛容を導くもの
I 生成する〈わたし〉
1章 〈外部〉の終焉と共身体的自我へ
2章 回帰的な自分と教育の可能性
3章 過去の架橋と生成する〈わたし〉
II 語る〈わたし〉
4章 過去からの救済と語ること
5章 〈いま〉語る〈わたし〉
他者とのあいだに立ち上がる共感的身体――植民地台湾からみる
(1) 当事者の語る歴史を聞き取るということ
(2) 植民地台湾の教育と生活
(3) 「光復」後の社会と生活および教育
(4) 戒厳令解除以降の社会と次の世代
(5) 語り手は何を語ろうとしたのか
おわりに 過去への寛容を導くもの