歴史学の縁取り方
フレームワークの史学史
内容紹介
目次
著者紹介
歴史学はいかなる知的枠組み(フレームワーク)のもと形づくられてきたのか。その時代の状況にも対応し、切りひらかれてきた歴史学は、その枠組みがときには批判されつつも、継承されてきたことを史学史的に論じる。これからの歴史学にとって必要な手がかりを示す。
はじめに(左近幸村)
序 章 「事実をして語らしめる」べからず――職業としての歴史学(恒木健太郎)
一 マックス・ヴェーバーと「歴史の物語り」論
二 「揺るがない事実」という認識の基底
三 社会史批判としての「柔らかな実存論」
四 「よくできたお話をつくりあげた方が勝ち」?
五 各章の構成
六 「地図」から「作法」へ
第1章 戦後日本の経済史学
――戦後歴史学からグローバル・ヒストリーまで(恒木健太郎・左近幸村)
一 「戦後歴史学」のフレームワーク――山田盛太郎から大塚久雄へ
二 対抗的フレームワークからフレームワークの拒否へ?
――「実証」の前提を問う
三 グローバル・ヒストリーのなかの「革新」と「保守」
[コラム1]「日本経済史」という「学統」(高嶋修一)
一 学問領域の非自明性
二 「日本経済史」の成立
三 土屋喬雄と「日本経済史」
四 縦の糸,横の糸
第2章 「転回」以降の歴史学――新実証主義と実践性の復権(長谷川貴彦)
一 フレームワークへの問い
二 社会史パラダイム
三 歴史学の転回
四 新実証主義と実践性の復権
[コラム2]帝国主義史研究とフレームワーク(柳沢 遊)
一 「経済史学とフレームワーク」をめぐる私見
二 柳沢遊の日本帝国主義史研究――在満日本人居留民社会史への視点
三 レーニンの帝国主義論との距離について
四 小さな「フレームワーク」設定の大切さ――結びにかえて
第3章 「封建」とは何か?――山田盛太郎がみた中国(武藤秀太郎)
一 フレームワークとしての『日本資本主義分析』
二 「封建」とFeudalism
三 橘樸と佐藤大四郎
四 山田盛太郎がみた中国
五 新たなフレームワーク構築にむけて
[コラム3]山田盛太郎の中国観と経済史学の現在――武藤論文によせて(石井寛治)
一 山田盛太郎による戦時期中国農村の調査
二 満洲農村特有の血縁的紐帯の一般化の誤り
三 専制国家体制の存続と儒教によるその相対化
四 山田説と服部説の統一的把握への途
第4章 経済史学と憲法学――協働・忘却・想起(阪本尚文)
一 憲法学という視角
二 高橋史学と戦後第二世代の憲法学
三 「営業の自由論争」の彼方
四 比較経済史学の射程について
[コラム4]元・講座派の技術論
――戦時中の相川春喜における「主客の統一」の試みと科学技術の「民族性」(金山浩司)
一 なぜ技術論か
二 きまじめな唯物論者――唯研時代の相川
三 転向した相川?
四 主客の止揚
五 科学や技術は民族的である
六 結論――建設的であろうとしたものの……
第5章 歴史学研究における「フレームワーク」
――インド史研究の地平から(粟屋利江)
一 インドにおける近代史研究
二 インドにおける歴史研究の軌跡
三 インドにおける近代史研究――日本との比較から
四 「フレームワーク」とジェンダー視角
五 再び「フレームワーク」について
[コラム5]歴史を書く人,歴史に書かれる人(井上貴子)
一 誰のための歴史か,誰を叙述するのか
二 人物に焦点をあてた歴史叙述
三 サバルタン・スタディーズとグローバル・ヒストリー
四 サバルタン・スタディーズの立場からみた日本経済史思想
第6章 「小さな歴史」としてのグローバル・ヒストリー
――1950年代の新潟から冷戦を考える(左近幸村)
一 グローバル・ヒストリーから郷土史へ
二 1950年代の日本における米軍基地拡張計画
三 新潟飛行場拡張反対運動の盛り上がり
四 揺れる県内世論
五 新潟からの米軍撤退
六 世界の中の新潟/新潟の中の世界
[コラム6]アメリカ合衆国における「近代化論」再考(高田馨里)
一 「近代化論」というフレームワーク
二 「近代化論」とアメリカ開発援助政策
三 「近代化論」の再考
四 「近代化論」をめぐる実証研究
五 日本の開発援政策の再考へ
第7章 読者に届かない歴史
――実証主義史学の陥穽と歴史の哲学的基礎(小野塚知二)
一 歴史研究の哲学的基礎と読者の哲学的基礎
二 「史観」――三木清『歴史哲学』を手がかりにして
三 戦後歴史学の起点
四 戦後歴史学と実際の戦後との乖離
五 戦後歴史学の零落と歴史の哲学的基礎
六 読まれる歴史への転換をめざして
あとがき(恒木健太郎)
The Historiography of Framing:
Conceptual Framework in History
Kentaro TSUNEKI and Yukimura SAKON, Editors
序 章 「事実をして語らしめる」べからず――職業としての歴史学(恒木健太郎)
一 マックス・ヴェーバーと「歴史の物語り」論
二 「揺るがない事実」という認識の基底
三 社会史批判としての「柔らかな実存論」
四 「よくできたお話をつくりあげた方が勝ち」?
五 各章の構成
六 「地図」から「作法」へ
第1章 戦後日本の経済史学
――戦後歴史学からグローバル・ヒストリーまで(恒木健太郎・左近幸村)
一 「戦後歴史学」のフレームワーク――山田盛太郎から大塚久雄へ
二 対抗的フレームワークからフレームワークの拒否へ?
――「実証」の前提を問う
三 グローバル・ヒストリーのなかの「革新」と「保守」
[コラム1]「日本経済史」という「学統」(高嶋修一)
一 学問領域の非自明性
二 「日本経済史」の成立
三 土屋喬雄と「日本経済史」
四 縦の糸,横の糸
第2章 「転回」以降の歴史学――新実証主義と実践性の復権(長谷川貴彦)
一 フレームワークへの問い
二 社会史パラダイム
三 歴史学の転回
四 新実証主義と実践性の復権
[コラム2]帝国主義史研究とフレームワーク(柳沢 遊)
一 「経済史学とフレームワーク」をめぐる私見
二 柳沢遊の日本帝国主義史研究――在満日本人居留民社会史への視点
三 レーニンの帝国主義論との距離について
四 小さな「フレームワーク」設定の大切さ――結びにかえて
第3章 「封建」とは何か?――山田盛太郎がみた中国(武藤秀太郎)
一 フレームワークとしての『日本資本主義分析』
二 「封建」とFeudalism
三 橘樸と佐藤大四郎
四 山田盛太郎がみた中国
五 新たなフレームワーク構築にむけて
[コラム3]山田盛太郎の中国観と経済史学の現在――武藤論文によせて(石井寛治)
一 山田盛太郎による戦時期中国農村の調査
二 満洲農村特有の血縁的紐帯の一般化の誤り
三 専制国家体制の存続と儒教によるその相対化
四 山田説と服部説の統一的把握への途
第4章 経済史学と憲法学――協働・忘却・想起(阪本尚文)
一 憲法学という視角
二 高橋史学と戦後第二世代の憲法学
三 「営業の自由論争」の彼方
四 比較経済史学の射程について
[コラム4]元・講座派の技術論
――戦時中の相川春喜における「主客の統一」の試みと科学技術の「民族性」(金山浩司)
一 なぜ技術論か
二 きまじめな唯物論者――唯研時代の相川
三 転向した相川?
四 主客の止揚
五 科学や技術は民族的である
六 結論――建設的であろうとしたものの……
第5章 歴史学研究における「フレームワーク」
――インド史研究の地平から(粟屋利江)
一 インドにおける近代史研究
二 インドにおける歴史研究の軌跡
三 インドにおける近代史研究――日本との比較から
四 「フレームワーク」とジェンダー視角
五 再び「フレームワーク」について
[コラム5]歴史を書く人,歴史に書かれる人(井上貴子)
一 誰のための歴史か,誰を叙述するのか
二 人物に焦点をあてた歴史叙述
三 サバルタン・スタディーズとグローバル・ヒストリー
四 サバルタン・スタディーズの立場からみた日本経済史思想
第6章 「小さな歴史」としてのグローバル・ヒストリー
――1950年代の新潟から冷戦を考える(左近幸村)
一 グローバル・ヒストリーから郷土史へ
二 1950年代の日本における米軍基地拡張計画
三 新潟飛行場拡張反対運動の盛り上がり
四 揺れる県内世論
五 新潟からの米軍撤退
六 世界の中の新潟/新潟の中の世界
[コラム6]アメリカ合衆国における「近代化論」再考(高田馨里)
一 「近代化論」というフレームワーク
二 「近代化論」とアメリカ開発援助政策
三 「近代化論」の再考
四 「近代化論」をめぐる実証研究
五 日本の開発援政策の再考へ
第7章 読者に届かない歴史
――実証主義史学の陥穽と歴史の哲学的基礎(小野塚知二)
一 歴史研究の哲学的基礎と読者の哲学的基礎
二 「史観」――三木清『歴史哲学』を手がかりにして
三 戦後歴史学の起点
四 戦後歴史学と実際の戦後との乖離
五 戦後歴史学の零落と歴史の哲学的基礎
六 読まれる歴史への転換をめざして
あとがき(恒木健太郎)
The Historiography of Framing:
Conceptual Framework in History
Kentaro TSUNEKI and Yukimura SAKON, Editors
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2022/01/24