知の生態学の冒険 J・J・ギブソンの継承【全9巻】

シリーズ著者
河野 哲也
三嶋 博之
田中 彰吾

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◎シリーズ刊行にあたって

 
 本シリーズは、ジェームズ・ジェローム・ギブソン(James Jerome Gibson, 1904-1979)によって創始された生態心理学・生態学的アプローチにおける重要なアイデアや概念――アフォーダンス、生態学的情報、情報に基づく直接知覚説、知覚システム、視覚性運動制御、知覚行為循環、探索的活動と遂行的活動、生態学的実在論、環境の改変と構造化、促進行為場、協調など――を受け継いだ、さまざまな分野の日本の研究者が、自分の分野の最先端の研究を一種の「エコロジー」として捉え直し、それを「知の生態学」というスローガンのもとで世に問おうとするものである。
 それは、自らの立場を括弧に入れて世界を分析する専門家の観点を特権視するのではなく、日々の生活を送る普通の人々の観点、さらには特定の事象に関わる当事者の観点から、自分(たち)と環境との関係を捉え直し、環境を変え、そして自らを変えていくことを目指す科学である。
 本シリーズでは、こうした生態学的な知の発想のもと、生態学的アプローチの諸概念を用いながら、執筆者が専門とするそれぞれの分野を再記述し、そこで浮かび上がる、人間の生の模様を各テーマのもとで提示し、望ましい生の形成を展望することを目的としている。

 本シリーズのテーマの特徴は、第一に、身体の拡張性、あるいは拡張された身体性に目を向けていることである。生態学的アプリーチの研究対象は、身体と環境、ないし他の身体とのインタラクションである。しかしその「身体」とは、もはや狭い意味での人体に止まらない。岡田美智男の第1巻『ロボット』は、ロボットという身体の示す「弱さ」や「戸惑い」に人間が引き寄せられ、人間がロボットとともに生きていく共生の可能性が描かれている。柴田崇の第4巻『サイボーグ』は、人工物とは根本的に人間にとって何であるのか、その意味を、サイボーグについての既存の語りを通して人工物を考えるための新しい見取り図を提案しようとする。長滝祥司の第6巻『メディアとしての身体』は、身体を世界と他者と交流するメディアであるという観点に立ち、身体的な技能と技術を探究しながら、ヒューマノイド的な身体が根源的な「傷つきやすさ」を纏っているとの認識に到達する。谷津裕子の第5巻『動物』は、動物福祉学や動物倫理学の知見を踏まえ、これまでの人間の動物への態度を問いなおす論考である。動物と人間の生の連続性を見据えて、どのように動物と関わることが、ひと、動物、環境がよりよく共生していく道を切り開いていく助けとなるのかが追求される。
 もうひとつの重要なテーマは、人間のおける間身体的な関係への注目である。田中彰吾は、脳が世界と交流する身体内の臓器であることを強調しながら、自己の身体の経験が、発達の最初から他者との関係において社会的に構成されることに着目する。環境とは、人間にとってもそもそも社会的なものなのである。河野哲也は「間合い」という日本の伝統的な概念を掘り下げ、技能・芸能、とりわけ剣道と能、日本庭園に見られる生きた身体的な関係性としての間合いの意味を明らかにする。熊谷晋一郎の第8巻『排除』は、相模原市障害者福祉施設での大量殺傷事件を考察の起点に置き、当事者の視点に立ちながら、障害者を排除する暴力が生み出されやすい環境と何か、ソーシャルワーク分野において暴力が起きうる環境条件とは何かを探る。
 そしてアフォーダンスの概念の深化である。森直久の第7巻『想起』は、体験が記憶として貯蔵されており、その検索と復元が想起であると考える従来の記憶観を、生態学的アプローチから鋭く批判し、体験者個人に帰属されるアフォーダンスの体験の存在を担保しながら、想起状況の社会性や集合性を考慮し、動的な時間概念を導入した新たな想起論を提示する。三嶋博之は、本シリーズ最終巻において、ギブソンの「アフォーダンス」の概念と、そのアイディアの継承者たちによる展開について整理しつつ論じ、その理論的価値について述べる。

 執筆者たちの専門分野はきわめて多様である。生態学的アプローチのラディカリズムと醍醐味をより広くより深くより多くの人々に共有してもらえるかどうか――本シリーズでまさに「知の生態学」の真意を試してみたい。

◎シリーズの特徴 
◆J・J・ギブソン(James Jerome Gibson, 1904-1979)によって創始された生態心理学・生態学的アプローチにおける重要なアイデアや概念――アフォーダンスなど――を受け継いだ、さまざまな分野の日本の研究者が、自分の分野の最先端の研究を一種の「エコロジー」として捉え直し、それを「知の生態学」というスローガンのもとで世に問う。
◆生態学的な知(知の生態学)とは、ある事象の存在の特徴・体制・様式を知ることがそれを取り囲む周囲の存在を知り、周囲とどんな関係を結びながら時間の経過とともに変化や変貌をとげていくのか、また周囲にどのような変化が生じるのかを知ることに等しいと見なす、そうした知である。
◆生態学的アプローチのラディカリズムと醍醐味をより広くより深くより多くの人々に共有してもらえるよう、単著を基本としてシリーズを構成。

◎各巻構成

第1巻 ロボット:共生に向けたインタラクション
 岡田美智男(おかだ・みちお)豊橋技術科学大学情報・知能工学系教授
 
人間との関係やインタラクションに焦点を合わせ、著者自身が開発したロボットの具体事例を紹介し、生態学的な観点からその実相を記述することで人間とロボットの共生の可能性を探求する。
 周りの人を味方につけながら部屋を片付ける〈お掃除ロボット〉、子どもたちの手助けを上手に引き出しながらゴミを拾い集める〈ゴミ箱ロボット〉など、他者を味方にして目的を遂行する「関係論的なロボット」について論じる。
 ロボットの〈不完全さ〉や〈弱さ〉を適度に開示しつつ、お互いの〈弱さ〉を補いながら、その〈強み〉を引き出しあう人とロボットとの共生的なあり方が浮かび上がる。


第1章 まわりを味方にしてしまうロボットたち
 1 お掃除ロボットのふるまいを観察してみる/2 〈ゴミ箱ロボット〉の誕生/3 わたしたちとロボットとの相補的な関係
第2章 ひとりでできるってホントなの?
 1 「ひとりでできるもん!」/2 冗長な自由度をどう克服するのか/3 機械と生き物との間にあるロボット/4 おぼつかなく歩きはじめた幼児のように/5 〈バイオロジカルな存在〉から〈ソーシャルな存在〉へ
第3章 ロボットとの社会的相互行為の組織化
 1 街角にポツンとたたずむロボット/2 〈アイ・ボーンズ〉の誕生/3 ティッシュをくばろうとするロボット/4 〈アイ・ボーンズ〉との微視的な相互行為の組織化
第4章 言葉足らずな発話が生み出すもの
 1 言葉足らずな発話による会話連鎖の組織化/2 日常的な会話に対する構成論的なアプローチ/3 今日のニュースをどう伝えるか/4 ロボットたちによる傾聴の可能性/5 大切な言葉をモノ忘れしたらどうか
第5章 ロボットとの〈並ぶ関係〉でのコミュニケーション
 1 公園のなかを一緒に歩く/2 ロボットと一緒に歩く/3 〈自動運転システム〉はどこに向かうのか/4 ソーシャルなロボットとしての〈自動運転システム〉に向けて

第2巻 間合い:生態学的現象学の探究
 河野哲也(こうの・てつや)立教大学文学部教授

 日本の伝統的な芸術や芸能、武道の分野のなかで重要な役割を担い、日本の文化全般にとって美学的で哲学的な原理として長く論じられてきた間(ま、あいだ、あわい)や間合いについて生態学的現象学の視点からそのダイナミズムを明らかにする。
 とりわけ身体を使った芸術、芸能、武道における「間合い」の働き方を、生態心理学者のエドワード・リードの「促進行為場」という概念に依拠しつつ具体的・実証的に分析し、身体相互の流動と交流を制御するモーメントとしての間の働きを生態学的現象学の観点から捉え直す。
 最後に、生態心理学の「共鳴」「促進行為場」「充たされざる意味」といった概念を使い、これまで哲学的に論じてきた間と間合いの経験を記述する。

序:間と間合いとは何か
第1章 生態学的現象学とは何か
 1 現象学の目的/2 志向性とアフォーダンス/3 社会的アフォーダンスと間合い/4 促進行為場と充たされざる意味/5 共鳴(レゾナンス)としての知覚
第2章 技と型、その音楽的本質
 1 技術の二つの実現:身体とテクノロジー/2 三枝博音の技術論/3 源了圓の型の理論/4 型はどれほど重要なのか:剣道における型/5 能における型/6 宇宙の流れ、バシュラールの持続批判
第3章 間合いとリズム
 1 世阿弥における間=「せぬ隙」/2 能の時間性/3 間合いと臨床心理/4 間合いと活人剣(かつにんけん)/5 剣のリズム/6 拍子とリズムの哲学
第4章 花と離見の見
 1 「秘するが花」/2 離見の見とは何か/3 「不及目の身所」を見る/4 役地と離見の見の同型性/5 呪言と幽霊の主体化/6 バフチンの腹話性とシテ地/7 再び、離見の見とは何か/8 物乞いとしての無心
第5章 流体としての身体
 1 身体のリズム、宇宙のリズム/2 リズムは意志の自由に反するか/3 環境に浸る/4 植物の魂/5 草木成仏/6 海、宇宙の体液
第6章 間合いとアフォーダンス
 1 庭園を歩く/2 環境と自己についての気象学的・海流学的アプローチ/3 二人称の根源性/4 促進行為場としての間合い

第3巻 自己と他者:身体性のパースペクティヴから
 田中彰吾(たなか・しょうご)東海大学現代教養センター教授

 「自己」は、身体を与えられることで世界に生を受ける。また、身体を通じて「他者」と関わることでその姿をさまざまに変化させる。本書は、身体性に関連する認知科学・神経科学の主要なトピックを取り上げながら、自己と他者、そして両者の身体的な相互作用について生態学的現象学の視点から考察する。各種の研究データを生活世界の文脈に置き直し、それらが「どのような意味を持つのか」を解明することで、身体性、社会性、間主観性の経験について新たな理解をもたらす。
 本書が目指すのは、脳内過程への還元によってではなく、「脳-身体-環境」というエコロジカルな連続性のもとで身体的経験を理解すること、また、それを通じて自己と他者が出会う社会的環境を描き直すことである。


第1章 動きのなかにある自己
 1 運動学習の重要性/2 生きられた身体に備わる図式/3 運動学習の科学/4 二つの事例:シュナイダーとウォーターマン/5 運動学習において解明されるべきこと/6 運動学習が可能であることの意義
第2章 脱身体化される自己
 1 身体の外に私がいる/2 ラバーハンド錯覚/3 全身錯覚/4 全身錯覚の意義/5 身体化された自己の拡張性/6 クリティカルな論点
第3章 「脳の中の身体」を超えて
 1 脳の中の身体/2 幻肢を動かす/3 世界内存在としての幻肢/4 幻肢の「かたち」/5 身体と自己の構成
第4章 行為でつながる自己と他者
 1 「身」という言葉/2 共鳴する身体/3 他者の心の問題/4 自己と他者のあいだ/5 「あいだ」で何が生じるのか/6他者を理解するとは
第5章 身体に媒介される自己と他者
 1 他者に知覚される経験/2 「主体としての身体」から「客体としての身体」へ/3 客体としての身体・自己と他者/4 他者の身体・他なる主体性/5 共感の裏側にある不安/6 二人称のメタパースペクティヴ
第6章 自己・他者・ナラティヴ
 1 ミニマル・セルフを超えて/2 共同注意と発話/3 ふり遊びと想像力/4 反実仮想的思考/5 パラダイムとしての対話

第4巻 サイボーグ:人工物を理解するための鍵
 柴田 崇(しばた・たかし)北海学園大学人文学部教授

 これまでサイボーグについて紡がれた多様な議論=言説を辿り、批判的に解釈することによって人工物=メディアの理解の促進に寄与することを目的とする。
 「サイボーグ」とは、人工物と有機体の融合による身体機能の増強を意味する「拡張extension」の概念をもとに20世紀半ばにつくられた造語である。「拡張」の概念は、サイボーグ論のみならず、AIを含む今日の技術論全般に浸透している。
 生態心理学のJ・J・ギブソンもまた「extension」の概念で道具や機械を論じているが、ギブソンはこの語を「拡張」ではなく「延長」という別の意味で使用することで、技術論の生態学的転回を予告した。
 ギブソンのアイディアを敷衍することで「拡張」に席巻されたサイボーグ論を転回し、さらに人工物を理解するための新たな視座を提供する。


第1章 サイボーグ論の正統:「拡張」の技術論
 1 サイボーグの誕生:一九六〇年、宇宙/2 サイボーグ思想の「原型」:『世界・肉体・悪魔』(一九二九)/3 サイボーグ思想の「起源」:『パイドロス』/4 「拡張」の系譜(一):AI論に続く道/5 「拡張」論の系譜(二):二一世紀のサイボーグ論/6 まとめ
第2章 サイボーグ論の転回:「延長」への定位
 1 「拡大」する身体の意義:「延長」の分節に向けて/2 「延長」の起源を超えて:J・J・ギブソンの道具論/3 F・ハイダーの視覚論:「透明になる」メディウム概念のさきがけ/4 D・カッツの色覚・触覚論:「運動」の発見/5 E・ホルトの行動主義:身体化の基礎理論/6 まとめ
第3章 『生まれながらのサイボーグ』解題
 1 第三のextension:「外化」/2 『生まれながらのサイボーグ』:異形のサイボーグ論?/3 『現れる存在』解題:「越境する心」の哲学/4 「大き過ぎる心」:「拡張」に無自覚なサイボーグ/5 アンディ・クラークのサイボーグ:「拡張」のキメラ/6 まとめ
第4章 サイボーグ論の転回、そしてまとめ
 1 サイボーグ論の「転回」:見込まれる効用/2 展望:理論化の方向性と課題/3 まとめ
   
第5巻 動物:ひと・環境との倫理的共生
 谷津裕子(やつ・ひろこ)宮城大学人間・健康学系看護学群教授

 動物の権利をめぐる歴史や現況を紹介し、複雑で多岐にわたる動物利用問題についてアフォーダンス理論を用いて整理し、人と動物との倫理的共生のあり方を考察する。
 動物利用問題にアフォーダンス理論を援用する意義は、動物が自由をもって生きる権利を正当に認めながら、同時に人も生存可能となるような生き方の幅、自由の幅を拡張する考え方を提供することにある。動物を搾取しない生存・生活行為を可能にするアフォーダンスを、人の生きる環境に作り出すという発想を説明のうえ、その具体策を提案し、動物との共生に対する倫理的実践を促すことが、本書のねらいである。


第1章 ひとから見える動物の多様なありよう
 1 動物園の動物たち/2 畜産動物たち
第2章 ひとから見える世界、動物から見える世界
 1 ひとから見える動物/2 動物の見え方の違いを生み出す構造:アフォーダンスの視座から
第3章 ひとと動物、環境の倫理的つながり
 1 主観主義のわな/2 善悪は実在する/3 財産としての動物/4 動物はひとと同等の地位を持つ/5 動物の声をとなる知識/6 動物の声となる共感/7 共感と身体/8 共感を妨げる要素/9 「なりきる」体験/10 共感のつらさ/11 アニマリズムの視点

第6巻 メディアとしての身体:世界/他者と交流するためのインタフェース
 長滝祥司(ながたき・しょうじ)中京大学国際学部教授

 身体をメディアとする人間と世界、他者とのインタラクションを生態学的現象学の方法論を用いて記述分析し、その具体像を明らかにする。生態学的現象学は、現象学に、世界を生態学的環境と捉える生態心理学の観点を加えた方法論である。 
 身体のメディア性の両義性を解明し、世界の実在性をめぐる哲学史的論争に新たな光をあて、さらに、スポーツに代表される技能や科学技術による身体のメディア性の機能的拡張について具体的に記述し、アフォーダンス概念を捉え直す。
 また「傷つきやすさ」(vulnerability)の概念や変遷を踏まえ、その基盤となる皮膚の自我/他我論について考察し、さらなる展開として、擬アリストテレスから近代へと受け継がれてきた観相/観情学の歴史的変遷をたどりつつ、現代的文脈において再構成する。


第1章 知覚・実在・メディアとしての身体
 1 心身の区別と主観−客観の認識図式/2 知覚をめぐる論争とメディア/3 身体−メディアの両義性について/4 身体技能とテクノロジー:拡張するメディア性/5 実在論と関係説:スペクトルのなかのアフォーダンス
第2章 身体・スポーツ・ヴァーチャル現実
 1 身体観の変遷/2 科学的世界像・生活世界・スポーツ空間/3 境界をこえる身体と空間/4 ヴァーチャル現実(VR)と道徳
第3章 人間機械論の彼方
 1 機械論的自然観と機械としての身体/2 人間機械/3 オートマトンからヒューマノイド、あるいはサイボーグへ/4 結語:身体性、人間性、傷つきやすさ
第4章 進化・科学技術・傷つきやすさ
 1 自然と傷つきやすさ/2 道徳的行為者
第5章 皮膚―感覚の現象学
 1 感覚概念の検討/2メルロ゠ポンティによる感覚概念の再構築/3 触覚のメタファ/4 皮膚・主体・他者
第6章 感情と身体:表層としての自己について
 1 PassionとEmotion/2 心身二元論と隠れている心/3 〈心−感情〉へのアクセス/4 感情をめぐる自然と文化/5 おわりに
第7章 他者理解のメディアとしての身体
 1 観相学略史/2 観相と類似/3 動きを読む/4 観相学か観情学か/5 形態・表情・類似:シーニュへ迂回して
補章 実験〈観情−観相〉学の試み 1 心へのアクセス/2 目指すデータと実験パラダイム/3 結果の予想と考察

第7巻 想起:過去に接近する方法
 森 直久(もり・なおひさ)札幌学院大学心理学部教授

 過去を思い出す行為を想起と呼ぶ。想起を通じて、想起者の体験へと接近し得る可能性を追求する。本書が乗り越えるべき記憶論の代表的な考えが2つある。過去の体験が知覚を通じて蓄えられ、どこかに保存されるという記憶痕跡論(エビングハウス)と記憶とは過去体験を言語的に表現したものだと考える記憶構成論である。
 これまで紡がれたそうした記憶論の主張を批判的に辿りつつ、フレデリック・バートレットやアーリック・ナイサーによる記憶研究を再考する。そしてある刑事事件の自白と証言の信用性鑑定研究や著者が行ったナビゲーション実験の成果をJ・J・ギブソンの生態学的知覚論に接続することで、「生きている想起」を説明可能な新たな記憶・想起論=生態学的想起論を構想する。


第1章 エビングハウスと記憶の実験室研究
 1 記憶の実験心理学の誕生/2 方法論的行動主義へ/3 動かない被験者/4 記憶痕跡は「生きている想起」の原基なのか/5 認識には表象が必要だという誤解に記憶痕跡論は基づいている/6 記憶痕跡論はなぜ維持されるのか/7 日常には「正解」も特権的存在者も存在しない/8 具体的な個人はどこにいるか/9 社会的媒体と環境の社会文化性の希薄さ/10 時間の欠如
第2章 バートレットを再構成する
 1 バートレット、エビングハウスに抵抗する/2 スキーマ論:未完のアイデア/3 想起の社会心理学/4 事実の構築と想起の真実性
第3章 ナイサーの日常記憶研究
 1 認知心理学の先駆者/2 生態心理学と認知心理学の間で/3 日常記憶の研究/4 ディーン証言研究
第4章 環境と接触した体験の想起
 1 回復する身体/2 偽りの記憶/3 記憶の偽り/4 供述の信用性評価/5 物語壊しとしての供述分析/6 足利事件被疑者の身体と環境/7 スキーマアプローチ/8 ナビゲーション実験/9 交代優位語りvs.連続優位語り/10 呼称不安定vs.呼称安定/11 多面的な語りvs.平面的な語り/12 環境駆動型動機vs.内面駆動型動機/13 要請からのずれvs.要請への適合/14 想起の発達:個人内平準化と個人間平準化/15 被験者Kのケース/16 Kによる交代優位語りvs.連続優位語り/17 探査中の時間表現/18 移動を表現する線分と記号
第5章 想起の新しい理論
 1 想起の理論化の試み/2 環境と身体/3 身体/環境の二重化/4 発話の道具的使用/5 「想起する自己」の発達論/6 原身体性と過程身体/7 抑圧身体/8 集権身体/9 抽象身体/10 生態学的想起論/11 おわりに

第8巻 排除:個人化しない暴力へのアプローチ
 熊谷晋一郎(くまがや・しんいちろう)東京大学先端科学技術研究センター准教授

 障害者への暴力およびそれが引き起こす排除という問題を生態学的な視点から理解することを試みる。
 2016年に19名が殺害された相模原障害者施設殺傷事件についての事実関係を確認し、障害者の暴力被害のリスクや暴力加害のリスクについて扱い、被害者と加害者、そのどちらにも共通する要素として、社会的排除と依存先の少なさ、トラウマを取り上げ、暴力の生態学的な理解を提案する。さらに暴力的な言動をしてしまう障害者と共に行った、自らの中にある身体的な痛みやトラウマを見つめ、分かち合う当事者研究プログラムを紹介する。
 本書は誰をも排除しない社会の実現に向けた、19名の仲間から課せられた宿題の、現時点での中間報告である。

序:背景と目的
第1章 暴力の当事者研究
 1 問題の所在/2 自己決定論と手足論の再考/3 暴力のない環境のレイアウト:自立概念の再考を通じて
第2章 暴力についての先行研究
 1 観察研究/2 介入研究/3 障害者への暴力をなくすための具体的な計画/補遺 当事者研究が暴力の手段にならないために
第3章 家族・支援者に知っておいてほしいこと
 1 はじめに/2 エンパワメント/3 意思決定支援/4 まとめ
 
第9巻 アフォーダンス:そのルーツと最前線
 河野哲也
 田中彰吾

 「アフォーダンス」とは、人や動物の行為を支える環境の「意味」や「価値」である。J・J・ギブソンのアフォーダンス理論は、環境に実在している意味や価値を私たちが経験を通じて探索し、発見していくことの重要性を強調し、心身二元論にまつわる諸問題をかろやかに飛び越える可能性を示す。
 そのアイディアの成立から、継承者たちによる近年の展開までを、それを理解するために必要な鍵概念群の解説とともに包括的に論じ、アフォーダンス理論の価値と可能性についてあらためて検討する。また、脳研究と生態学的アプローチの関係やアフォーダンスの倫理学のさらなる展開も追求する。

序(田中彰吾)
 1 ビリヤード台としての自然/2 生命から始める/3 本書の構成

第1章 心の科学史から見たアフォーダンス(田中彰吾)
 1 知覚をどう理解するか:近代哲学の観念論/2 精神物理学から実験心理学へ/3 ゲシュタルト心理学の挑戦/4 ギブソン知覚論の骨子/5 アフォーダンスの概念

第2章 アフォーダンスから見た脳:レゾナンスの神経科学に向けて(田中彰吾)
 1 ギブソンとメルロ?ポンティの並行性:生態学的心理学と現象学/2 メルロ゠ポンティによる「身体図式」概念の拡張/3 マトリックスとしての脳/4 アフォーダンスの神経科学/5 レゾナンスの神経科学に向かって

第3章 社会的アフォーダンスと環境とのエンカウンター(河野哲也)
 1 社会的アフォーダンスの効用/2 アフォーダンスと意味/3 学習された意味と生得的に得られる意味/4 真正の知覚/5 プラグマティズムの記号論とアフォーダンス/6 アフォーダンスと意味の関係/7 アフォーダンスの特徴/8 人間同士のアフォーダンスと出会いの場/9 社会環境アフォーダンス/10 対人関係的アフォーダンス/11 社会制度アフォーダンス/12 社会制度と行動の制御/13 行為の流れ:共鳴、エンカウンター、充たされざる意味、促進行為場

第4章 ギブソンを超えて:海流的アプローチと存在即情報論(河野哲也)
 1 流体の存在論:気象学的・海洋物理学的アプローチ/2 身体気象/3 認識と情報/4 存在即情報としての生態系/5 情報化による即自存在の生成

第5章 知の生態学の冒険、ふり返りと今後の展望(河野哲也/田中彰吾)