第二回東京大学南原繁記念出版賞発表

2011年12月9日の東京大学出版会理事会において,第2回東京大学南原繁記念出版賞が以下の1点に決定しました.

福岡万里子  (日本学術振興会特別研究員)
『プロイセン東アジア遠征と幕末外交』

 受賞した論文は,後日,東京大学出版会から書籍として刊行されます.
 →2013年3月に『プロイセン東アジア遠征と幕末外交』として刊行されました

 
【講評】
 本論文は,1860年に日本を訪れたプロイセン使節オイレンブルグと日本との通商条約締結交渉過程を,プロイセン,日本双方の外交文書や,関連する英語やオランダ語の資料も駆使して分析したものである.本論文の意義は,従来,二国間関係史として論じられることの多かった幕末の日本外交史を,プロイセンを軸に置きつつも,オランダ,アメリカ,イギリスなどの動きや,中国の条約秩序の変遷やシャムの動向など,東アジア国際関係史における多角的な競合・対立・協調関係として論じたことであり,こうした重層的な議論を可能にマルチアーキヴァルな手法の優位性を明示したことである.
 こうした特徴が生きた本論文の注目すべき成果としては,次のような点を指摘できる.
 (1) プロイセンの遠征の契機となった,東アジアの条約秩序の転換を指摘した.アヘン戦争以来存在していた,ある国が獲得した権利は他の国にも付与されるという諸外国民平等参加型の条約秩序が,1854年の日米和親条約,58年の天津条約,安政五カ国条約を経て変質し,条約は厳密に二国間のものとして締結されるようになった.こうした状況のもとで,プロイセンは,英・米・仏などの先進海運諸国との対等性を獲得するためにも,シャム,中国,日本との個別条約の締結をめざした.
 (2) 安政五カ国条約以後の幕府の外交政策が,積極開国路線から,通商国を基本的に五カ国に限定し,その他の諸外国には当面「鎖国」を維持する政策へと転換したことを,明確に描き出した.幕府にとっては,駐日外交団の支援を受けたプロイセン使節団の条約締結要求は,同国との新規締約のみならず,対外関係の全面的改変を余儀なくされる課題であり,容易に応ずるわけにはいかないものだった.
 (3) この状況が打開され,日本とプロイセンの条約が締結されるには,開港開市問題をめぐる米国やイギリスの動きが重要な意味をもったことを解明した.プロイセン使節団は,当時の幕府が五カ国条約で約束した大阪・兵庫などの開港を延期しようと努めていたことを知り,米国弁理公使ハリスの仲介によって,開港の延期が規定された条約をプロイセンと結べば,各国との開港延期交渉で有利になるという話を幕府にもちかけた.英国公使オールコックも,これが開港延期の手がかりになるとしたので,日孛条約締結に道が開かれた.幕府はこの条約をもって新規締約を停止することをハリスから諸外国に伝える約束も得,通商締約国の限定とその可及的維持という外交方針を維持することができた.
 (4) 通商開始後の日本の開港地における非条約締結国民の貿易活動と幕府による扱いを,ドイツ系商人の事例に即して検討し,開港地には非条約締結国民が居留しつづけたが,幕府はその貿易活動を問題視し,追放を是とする方針を維持したことを解明した.
 以上のように本論文は堂々たる19世紀半ばの東アジア国際関係史であり,プロイセンに代表される新興資本主義勢力の世界進出が生み出す国際的問題を日本に即して浮き彫りにした,グローバルヒストリーとしても通用する作品である.

(古田元夫/東京大学大学院総合文化研究科教授)

 

【受賞のことば】
福岡万里子

 学部時代,私は東京大学教養学部の交換留学制度により,ドイツのミュンヘン大学へ一年間留学した.当時,私は歴史学の方法論への興味から,ドイツの歴史社会学に惹きつけられ,それ故同地では社会学の講義やゼミに出席した.そのうちの「社会学概説」のゼミでは,学期末の課題として,たまたま「近代化論」について「ゼミ論文」を書くことになった.その準備のため担当教官と面接したところ,私は教官から,意表を突く提案を受けた.それは「日本の近代化について論文を書いてはいかがですか?」という提案で,当座のところ,私はこれに応えることができず,忸怩たる思いがした.その後,私が日本に関する研究へと大きく方向転換したのは,これを一つのきっかけとしている(ちなみにそのゼミ論文は結局,戦後ドイツの近代化論について執筆することにし,終章に,その妥当性を日本と比較し検討する考察を組み込んで提出した).
 帰国後は,ドイツ語史料を活用して日本(特に日本近代史)を研究しようと思い定め,留学前からお世話になっていたドイツ研究分野の恩師に相談した.そうして出会ったのが,「プロイセン東アジア遠征」というテーマである.最初に採ったのは,幕末期の日独関係という視角からこの素材を扱うというアプローチであった.しかしこれがどうも,実際の歴史過程の小さな一側面を恣意的に切り取ってくるのにも似た問題設定で,やりにくい.折しも,その頃出会った日本史分野の恩師が,「どんな二国間関係も,国際関係の中でしか存在しない!」と喝破された.同じ頃,ドイツ語ができるのならということでやはり勧められて,オランダ語も始めた.こうして徐々に,今回の拙稿での研究手法に近づいていった.最終的に,マルチ・アーカイヴァルな手法に基づく幕末外交史・東アジア国際関係史研究,という方向が決定的になったのは,そうした手法及び視角をとらないと,扱うひとつひとつの史料や事象が十分に理解できなかったからである.例えば拙稿で考察した日本=プロイセン条約の締結に至る過程は,日・独・英・米の史料を参照し,かつこの過程を幕末外交史の文脈に位置づけないと,「なぜ幕府がこの時期に条約を締結したのか」という肝心な点が,どうしても理解し得なかった.また,これら条約関係史料を含め,研究の過程で遭遇した様々な史料は,「日本史」や「ドイツ史」といった枠に収まりきらない,極めてヘテロな情報に溢れていた.それらを汲み取り,解釈しようと苦心しているうちに,気が付いてみると,自分の研究は,東アジアの国際関係史やグローバルな歴史過程をも扱うことになっていた.
 それが今回,いつの間にか賞まで頂くことになった.身に余る光栄であり,望外の高い評価を与えて下さった先生方に,心から感謝申し上げたい.これからも私は,目の前の問題をひとつひとつ愚直に解いていく方法でしか,進んでいくことができないだろう.長い目で,叱咤激励を頂ければ,とても嬉しく思う.

 
【受賞者略歴】
[略歴]1979年生まれ.2003年東京大学教養学部超域文化学科卒業(2001-2002年東京大学教養学部AIKOM交換留学生としてドイツ・ミュンヘン大学に留学).2005年東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了.2011年同研究科博士課程修了.博士(学術).現在,日本学術振興会特別研究員PD(東京大学史料編纂所).
[専攻]幕末外交史、日独・日蘭交渉史、東アジア国際関係史

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