第六回東京大学南原繁記念出版賞発表

2015年12月2日の東京大学出版会理事会において,第6回東京大学南原繁記念出版賞が以下の1点に決定しました.

多田蔵人 (鹿児島大学法文学部人文学科准教授)
『永井荷風研究──江戸文化の受容と「小説」の創出』

受賞した論文は,後日,東京大学出版会から書籍として刊行されます.

【講評】
 日本が近代へと歩みを始めたその時,意外なことに,小説とはいかなる言葉で書かれ,いかなる物語を創出すべき文学ジャンルなのか,答えられる者は誰もいなかった.ここに,小説の言葉はいかに出来事を語るべきかとの巨大な「問い」を前に,明治以降の文学者らの奮闘が始まるゆえんがあった.
 本論文は,ともすれば,諷刺に長けた文明批評家との印象もある永井荷風を取り上げ,ことあるごとに荷風が自らを「小説家」と規定していた事実に改めて着目し,荷風の小説表現が前近代の作品群といかなる関係を持って成立していたのかを精緻に検証した,日本近代文学史の画期的な労作である.
 本論文は,(一)江戸文化への愛着を表明し,戯作者たることを自ら公言していた荷風の〈やつし〉の実態を批判的に検証するとともに,(二)荷風の小説への江戸の摂取方法はいかなるものであったのかを,明治四二(一九〇九)年発表の『狐』・『すみだ川』から,『冷笑』,『戯作者の死』,『雨瀟瀟』,『雪解』,『つゆのあとさき』,昭和一二(一九三七)年発表の『濹東綺譚』まで,八作品の具体的検討を通じて明らかにした.考察を通じて,江戸文化に韜晦して現実から逃避したという,これまでの研究史の整理とは異なった小説家の姿が改めて明らかにされ,むしろ「現代」により深く関わろうとした,より内在的な荷風像を提出することに成功している.
 本論文が特に優れているのは,以下の点である.
 第一に,古典文学への深い理解と造詣に支えられ,論文全体を貫く説得力と文章力に,他の追随を許さないものがあった.江戸以前の古典文学研究と明治以降の近代文学研究は別個になされることが多かった.そのような一般的な研究状況から離れ,多田氏は古典文学への深い研鑽を積み,表現分析と注釈的事項の提示という手堅い方法で,江戸文芸の言葉の引用が近代小説の物語の展開に与えた影響関係を鮮やかに検証してみせた.例を挙げれば,第一章『狐』論において,『狐』の登場人物の一人の台詞から,狐をめぐる伝承へと筆が運ばれ,馬琴『敵討裏見葛葉』の該当部分が的確無比に引照されるのを目にする時,ひとは読むことの喜びを感ぜざるをえないだろう.そのうえで,荷風による江戸の引用の意義は,「小説が伝承の言葉から自由になることは可能か」との問いにほかならなかった,との独創的な結論が導かれる.
 第二に,荷風が小説表現のなかに江戸を受容した際の態度と方法を検証するにあたって多田氏は,作品の置かれた時代状況や作品を支えたであろう資料を正確におさえていく方法をとった.その視角と方法の妙が本論文を豊かな創見溢れるものにしている.例を挙げよう.江戸の戯作者・柳亭種彦に材をとった『戯作者の死』を論じた第四章において,荷風が依拠した資料につき,角田音吉『水野越前守』と宮武外骨『筆禍史』だとまずは比定する.そのうえで多田氏は,『戯作者の死』を戯作弾圧の実情を描いた小説ではなく,戯作を禁じられた戯作者が余儀なくされる曖昧な態度やそこに生まれた幻想的な想念の世界を描いたものと位置づける.依拠資料と小説の差異を正確にはかることで初めて,荷風が,状況に対して態度を決し得ない戯作者の無力な姿勢や頽廃的な幻想の言葉そのものに,告発や諷刺にもまさる意味を見出していたことを明らかにした.荷風は江戸文芸に耽溺していたのではなく,自覚的に距離をとり,江戸を近代小説の世界に援引した.多田氏は,小説の言葉が検閲と弾圧に直面した時代における荷風の解答をここに読み込む.
 このように本論文は,荷風の江戸文化受容が,極めて先鋭的な新しい「小説」創出という営為であったと論じ,これまで体系的な荷風研究を欠いてきた研究状況を大きく進展させたといえる.
 以上により,本論文は,第六回東京大学南原繁記念出版賞の受賞にふさわしい作品であると判断する.

加藤陽子(東京大学教授)

 

【受賞のことば】
 この度は,栄えある第六回東京大学南原繁記念出版賞を賜りまして,まことにありがとうございます.選考委員の先生方,並びに東京大学出版会の皆様に,厚く御礼申し上げます.
 卒業論文の対象に永井荷風を選んだのは,平成十六年の秋,安藤宏先生の演習で『花火』を読んだ時でした.友人の発表を聞いた後に図書館で『雨瀟瀟』を読み,以来気づけば十年ほど,荷風の言葉と付き合って参りました.神保町の古書街で荷風全集を買った日の,何かに引きずられてゆくような高揚感など,若干の気恥ずかしさとともに思い起こされます.
 荷風の言葉の魅力を何とか解き明かしたいと思って繰り返してきたのは,作品に引用された文章や典拠となった文章を探して読み,言葉と物語の類例を調べ,各々の文章を作品と比較する,という単調な作業でした.古めかしいやりかたではあるものの,結果として,荷風の言葉をじっくりと眺めることには適した方法だったのかもしれないと思います.一見隠者のように孤独にふるまっている荷風の言葉のかげに,繊細な選択や他の文章との繋がりが見えてくる体験は,他の何物にも代えがたいものでした.少なくとも頭の回転が遅く結論を出すことが苦手な私の場合,こうした体験がなければ一人の作家を読みつづけることは覚束なかったように思います.
 こうした作業の経過報告を積み重ねる形で,拙論では,江戸受容によってもたらされた荷風の文体と物語の多面性が,近代小説における表現の不可能と孤独の問題を逆説的に提示している,と論じています.これについては今後いただく選評やご意見をもとに書き直した上,いずれ出版される小著にて御批評を仰ぐこととしたく存じます.
 先生方をはじめ,大学,職場,研究会,図書館,古書街,そして荷風と関わる町々で薫陶を受けた皆様に良いご報告を差し上げられることが,今,もっとも大きな喜びです.荷風の文業に対するに,あまりに小さな論文ではありますが,これからも荷風を読み続けてゆくための里程標とすることができれば,と考えております.当賞への応募後に得た知見を含めて,あらためて出版のご報告を差し上げられるよう,励んで参りたく存じます.

多田蔵人(鹿児島大学准教授)

 

【受賞者略歴】
多田蔵人
1983年7月生まれ,2006年東京大学文学部言語文化学科卒業.2008年東京大学大学院人文社会系研究科修士課程修了.2014年3月同研究科博士課程修了.博士(文学).現在,鹿児島大学法文学部人文学科准教授.

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