第10回東京大学南原繁記念出版賞発表

 財団法人東京大学出版会(2012年10月より一般財団法人)は、1951年3月1日、ときの東京大学総長南原繁先生の発意により教員有志の協力を得て、日本の国立大学では初めての大学出版部として設立されました。以来、「大学における研究とその成果の発表を助成するとともに、学問の普及、学術の振興を図る」(設立趣意書)ために、着実な出版活動を続けてまいりました。
 東京大学出版会では創立60周年(2011年)を機に、この設立趣旨の一層の達成に向け、東京大学南原繁記念出版賞を創設しました。これは、優れた学術論文を発掘し、書籍として世に問う機会を広く推し進めたいという意図に基づくものです。そして東京大学出版会は、本出版賞創設を契機に、将来の世代に向けて清新で創造的な大学出版部活動を更に展開いたします。
 2019年4月には第10回の募集をし、東京大学教員の推薦により10点の応募を得ました。東京大学出版会理事会のもとに選考委員会を組織し、厳正な審査を行い、ここに優れた論文を選ぶことができました。
 東京大学出版会は、引き続き第11回の募集をいたします。募集対象は次の通りです。

①東京大学の専任の教授・准教授の推薦による論文
②未発表で書き下ろしの、またはそれに準ずる論文
③個人による学術的著作として第一作にあたる論文
④一冊の書籍として出版が可能な適当な分量の論文

の四条件を満たすもの。
 
 本出版賞創設の趣旨のご理解と、関係各位の一層のご協力をお願い申し上げます。

第10回東京大学南原繁記念出版賞・選考委員会(五十音順/敬称略)

委員長 吉見俊哉(東京大学出版会理事長/東京大学大学院情報学環教授)
委 員 加藤陽子(東京大学出版会企画委員/東京大学大学院人文社会系研究科教授)
委 員 遠藤利彦(東京大学出版会企画委員/東京大学大学院教育学研究科教授)
委 員 沼野充義(東京大学出版会企画委員/東京大学大学院人文社会系研究科教授)

【第10回東京大学南原繁記念出版賞受賞作】
宋晗(そう かん)『平安朝文人論』

 [略歴]1987年生まれ、2010年中国上海外国語大学英語英文学科卒業。2014年東京大学大学院人文社会系研究科修士課程修了。2018年同研究科博士課程修了。博士(文学)。同年4月よりフェリス女学院大学文学部助教
[専攻]文学(平安朝漢文学)、日中比較文学

 【受賞のことば】
 この度は、拙論「平安朝文人論」を第10回東京大学南原繁記念出版賞に選出していただき、誠にありがとうございます。ご選考くださった先生方、東京大学出版会の皆様に、謹んで御礼申し上げます。
 平安朝漢文学の担い手の文人は、官僚制度内での出世と直結する文名をかけて、必死に競い合っていました。一世代に限ってみれば、世俗的利益以外の何も残さない、不毛に映る彼らの競争こそが、長期的には平安朝漢文学のあるべき表現世界を開拓していくという機構への興味が、拙論の出発点にあります。
 平安朝文学の重要な一部分として漢文学があったという見取り図は、学校教育を介して広く認知されていると思います。しかし、所詮中国文学の二番煎じに過ぎないというような評価が支配的であると言わざるを得ません。そういった風潮に反発して日本漢文学を持ち上げる意見もちらほら見かけます。真っ向から対立するこの二つの意見は、一つの平面に中国文学と日本漢文学を並べ、それぞれのきめの細かさを吟味することなく、安易に比較している点で一致しているのではないでしょうか。現代の私達は、李白や杜甫が漢詩の頂点にいることを知っています。韓愈の文章が散文の極致であるのも知っています。そういった、自明のものとして受け止められている常識が、歴史の中で形成されてきた事実も、今や常識の範疇にあります。人間が自分の生きる時代の制約を必ず受けるのであれば、平安朝漢文学を、平安貴族が生きた時代の諸条件を勘案した上で見つめ直す必要があります。歴史のふくらみに注視して、平安朝漢文学が生成される過程をなぞれば、数行で片付けられてしまう教科書のコラムが異なる様相で現れてくるのです。
 政治史の視点から切り取るだけでも、平安遷都の794年から、壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した1185年まで、四世紀近い期間を持つ平安時代です。通時的に表現史をたどるためには、浩瀚たる資料と向き合わねばなりませんでした。個々の作品の文学的価値と、文学史的価値を整理して論じることの難しさを前にして、何度も行き詰まりました。応募時には力を出し切ったと自分で自分を納得させたものの、今再び拙論を読み返してみると、論理的に詰めの甘い箇所が目につきます。審査員の皆様方からいただいたご意見をふまえ、推敲に精励したく存じます。
 最後に、魯鈍な私を辛抱強く導いてくださった藤原克己、高木和子両先生に感謝の辞を申し上げて結びとしたいと思います。(宋晗)

 【講評】
 『平安朝文人論』とはあまりに簡潔なタイトルで、これだけでは内容が想像できないが、具体的には、9世紀初頭の嵯峨朝時代からほぼ3世紀を視野に入れ、平安朝の「文人」たちの漢文作品の変遷を追いながら、漢文による表現が集団を前提とした公共性から個人の私的表現の領域へと発展していった過程を描き出した論文である。研究の手法について言えば、嵯峨朝の詩人から、菅原道真、小野篁、島田忠臣、都良香、紀長谷雄、兼明親王、慶滋保胤、大江匡房まで、時代の流れに沿って文人たちの営為を実証的に分析している。そして、関連文献を博捜したうえで、先人の業績に敬意を払いつつ、建設的な批判と創見を随所に盛り込んでいく極めてオーソドックスで手堅い書き方になっている。
 ただし、個別作家・テクスト研究の単なる集積ではない。表現形式・方法の継承と革新という視点から文学史を描き出す、ダイナミックで野心的な構想でもあり、詩と散文の両方を包含する漢文脈における平安朝精神史の記述も目指している。つまり緻密な読みに徹しながら、文学史・精神史の大きな図柄を描き出した力業である。地道なテクスト分析に基づいて通時の軸に沿って歴史の流れを辿り、文学表現上の画期的な変化がいかに導かれたが語られる。柄谷行人風に言えば、主題は平安朝漢文学における「私の発見」であり、評者としては本研究を『公共から私へ――平安朝漢文学の精神史』と呼んでみたい。
 現代の日本で「文人」と言えば、一般的に詩歌文芸をたしなむ風雅な人、くらいの意味になるだろうが、本書の「文人」とはもっとはっきりした意味に限定されている。その定義は冒頭に掲げられているように、第一に「大学寮文章科での教育を受け、(漢文により)文章制作を職務とすること」、第二に「中国文人をモデルとして、文人としての自己規定を持つこと」である。ところで「漢文」は日本語環境において独自の発展を遂げ、言わば日本文学の一部と見なされるようになったわけだが、もともと中国から伝来した、日本語とは似ても似つかぬ外国語で書かれた文章である。その外国語を使いこなす特権的技能を身につけた日本のエリートたちは、最初、漢文によって公文書を作成する「テクノクラート」として公共的な役割を担うのだが、やがてその能力を活かして私的な表現の探求へと向かった。
 本研究の扱う分野は、日本の伝統では広義の「国文学」の枠内に組み込まれるものであり、膨大な書目を集めた参考文献表には欧文の批評理論書は一冊も見当たらない。しかし、その潜在的な射程は巨大と言ってよく、決して狭義の国文学の領域に回収されるべきではないだろう。これが一種の比較文学研究になっているのは題材から言って当然だが、さらにそれを超えて、現代の文学研究の観点からは様々な興味深い側面がある。第一に、周辺諸国(日本だけでなく、朝鮮半島、ベトナムも含む)への中国文学の伝播と受容・変容のプロセスは、モレッティやダムロッシュが提唱する現代の世界文学論に接合できるだろう。第二に、本研究は、当時の日本の文章表現の世界における和漢両言語の併用状態(ダイグロッシア)と、両言語の相互作用に光を当てるものものでもある(なお本論文の視野外ではあるが、これは当然、言語の占有・選択をめぐるジェンダー論的考察の対象となる)。第三に、内容と表現形式・ジャンルの関係に着目した、理論的な文学史構築に通ずる要素がある。
 もともと上海で英語英文学を専攻した中国出身の著者が、日本に留学後国文学の「王道」に踏み入って、博士課程の数年間でこのような専門性の高い論文を、舌を巻くほど見事な日本語で書き上げたことには、無論その背後に国文学研究室の手厚い指導と日本の学界における優れた先行研究の蓄積があるとはいえ、驚嘆せざるを得ない。中国語を母語とし、英語にも堪能な著者がその多文化的素養を活かしてさらに研究を発展させていけば、今後、日本文学研究を世界に開く旗手として国際的な場で活躍することが期待される。(沼野充義/東京大学教授)
*所属・肩書きは2020年3月時点のものです。

これまでの東京大学南原繁記念出版賞受賞作についてはこちらの東京大学南原繁記念出版ポータルサイトをご覧ください。
(リンク箇所をクリックすると移動します)

シェアする
このエントリーをはてなブックマークに追加