書籍紹介

リベラルアーツの法学
自由のための技法を学ぶ
松田浩道[著]
A5判/208頁
定価2,640円(本体2,400円+税)
ISBN978-4-13-032395-6
2022年3月刊
国際基督教大学(ICU)や東京大学で行われてきた白熱講義を踏まえ、分かりやすく解説。
法学部生以外の大学生のみならず、意欲のある高校生や社会人も満足の、法の世界の魅力に溢れた意欲作。
従来の法学入門とは一線を画し、リベラルアーツの視点から法の意義と醍醐味を解き明かした新しいガイド。古今東西の古典の引用をベースに議論を展開し、法がさまざまな学問領域や社会生活に密接に関わることを浮き彫りにする。冒頭に「ディスカッション・クエスチョン」を、章末に「探究課題」を設けることにより、考えながら読み進め、グループワークなどでの活用も促すなど、「課題を発見し多角的に吟味する能力」「多様な価値観を持つ人々とコミュニケーションする能力」「現代的課題の解決のために行動する能力」の習得へ誘う!!
著者紹介
はじめに
著者が語る本書の狙い
――「はじめに」より
皆さんはいま、自由でしょうか?「自由である」と思う方は、その根拠を説明することはできるでしょうか。「自由ではない」とすれば、なぜそう思われるのでしょうか。
リベラルアーツとは人間が自由な人格であるために身につけるべき学芸を指し、これまでに何千年にもわたる議論と実践の蓄積があります(参照、大口 2014、石井・藤垣 2016 等)。現在では、世界各地で特色ある多様なリベラルアーツ教育が模索されています(Nishimura, Sasao eds. 2019)。
(中略)
リベラルアーツは、古典を通じて自由な態度で認識能力をきたえ、未知の課題を発見し、学際的な分析を深めたうえで、より良い世界のために行動することを目指します。このような考え方に基づき、本書は古今東西の古典を幅広く紹介しながら、「法」を切り口にしつつ、人間の目指すべき自由とは何かを探求していきます。
古典は過去に書かれたものですが、リベラルアーツにおける古典の探究は、いまだ答えが出ていない最先端の現代的課題に取り組むことにつながっています。このことを意識しつつ、本書は哲学、政治、歴史といった伝統的な学問分野から始まり、ジェンダー・セクシュアリティ、メディア・コミュニケーションといった現代的な課題に展開していきます。
内容見本
+松田先生によるポイント解説!

営業クマの“くまきち”です。
『リベラルアーツの法学』の一部を、著者である松田先生の補足説明を交えてご紹介します!
松田先生:
矢内原忠雄は、「平和ということは、人と人との交際における基本的なあり方であって、人が人をしいたげ、あるいは憎むということが、社会の秩序をみだしたり、世界に戦争をもたらしたりするもとであります。真に自由な人間は、平和をつくることができます。」と述べています(⇨「はじめに」ii頁)。
本書は、リベラルアーツの原義である「自由のための技法 artes liberales」を意識し、「自由」概念を核に据えています。そして、「平和と法」を扱う第5章では、まず何よりも自由と平和の密接な結びつきを明らかにしたい、と考えました。
この本はロシア・ウクライナ紛争(2022年)が発生する前に脱稿しましたが、本書が公刊される直前になって、ロシアによる軍事侵攻という極めて深刻な事態が発生しました。ここでは、3月20日現在の最新情報を踏まえ、補足説明をしたいと思います。

第5章 正しい戦争はあるか――平和と法
紛争を解決し、平和をもたらすことは法の究極目標といえます。法は、平和のために何ができるのでしょうか。本章では、「法は自由と平和の技術である」という考え方を紹介し、平和を守るための国際法の仕組みと限界、そして、日本国憲法9条の解釈について考察します。最後に、平和という言葉の多様な意味について確認します。
ディスカッション・クエスチョン:
1. 平和と自由はどのような関係にあり、法とはどのように関連するのでしょうか。
2. 自衛のための戦争や人道的介入は、正しい戦争でしょうか。
3. 平和とは、何を意味しているのでしょうか。
1. 平和の技術としての国際法――ミルキヌ= ゲツェヴィチ、カント
ミルキヌ=ゲツェヴィチは、自由と平和とは密接不可分のものであり、法は「自由と平和の技術」である、と位置づけています。
ミルキヌ=ゲツェヴィチ(小田滋・樋口陽一訳)1964[原書 1933]『憲法の国際化――国際憲法の比較法的考察』有信堂、21頁
憲法においては、すべての問題は法、それは自由と平和の技術であり、規律の実際の結果と目的は、その学問的解釈よりもより重要なのである。
ここでは、自由の技術として憲法を位置づける考え方(⇨第3章)と対比して、平和の技術として国際法が位置づけられています。本章では、平和の技術である国際法と、自由の技術である憲法の両方を具体的に検討していきます。
まず、各人が自由であるということから出発して永遠平和の原理を説く古典、カント『永遠平和のために』を読んでみましょう。
カント(中山元訳)2006[原書 1795]『永遠平和のために/ 啓蒙とは何か』光文社古典新訳文庫、162-166頁
◆永遠平和のための第一確定条項
どの国の市民的な体制も、共和的なものであること
◇共和的な体制の条件
◆第二確定条項
国際法は、自由な国家の連合に基礎をおくべきこと
◇自然状態にある国家
国家としてまとまっている民族は、複数の人々のうちの一人の個人のようなものと考えることができる。民族は自然状態においては、すなわち外的な法にしたがっていない状態では、たがいに隣あって存在するだけでも、ほかの民族に害を加えるのである。だからどの民族も、みずからの安全のために、個人が国家において市民的な体制を構築したのと同じような体制を構築し、そこでみずからの権利が守られるようにすることを、ほかの民族に要求することができるし、要求すべきなのである。
ただしこれは国際的な連合であるべきであり、国際的に統一された国際的な国家であってはならない。
カントは、法的な自由を「わたしがあらかじめみずから同意しておいた法則だけにしたがい、それ以外にはいかなる外的な法則にもしたがわない権限がある」ことである、といいます。人々は、社会契約によって、「各人が社会の成員として自由であるという原理」を中核とする共和的な国家を形成します。そしてさらに、そのような共和的な国家が自由な国家的な連合を形成することで、国際法に基づく平和が保たれることになります。ここでは、自由と平和とが不可分のものとして密接に結びついています。
松田先生:
カントは「各人が自由であるという原理」から出発しつつ、「自由な国家の連合に基礎をおく」国際法によって平和を保つ、という構想を示しています。カントの文章は決してやさしくはありませんが、『永遠平和のために』は自由と平和の結びつきを解き明かした古典中の古典です。ぜひ何度も繰り返し味わっていただきたい名著だと思い、本章でも詳しく紹介しました。

カント『永遠平和のために』は、国際連盟、そして国際連合の設立理念に対して大きな影響を与えました。そこで現在の国際連合憲章の仕組みを確認しておきましょう。
国際連合憲章(1945)
第2条4項 すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。
第51条 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。
国連憲章は、2条4項で侵略戦争を禁止します。そのうえで、もしそれに違反して国連加盟国に対する武力攻撃が発生した場合、国連憲章第7章に基づき、安全保障理事会がいかなる措置をとるかを決定します。そして、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的自衛権又は集団的自衛権によって対応することは「固有の権利」(51条)とされています。
松田先生:
ロシア・ウクライナ紛争(2022年)において、ロシアはまさにここで紹介した国連憲章51条を援用しました。脱稿時には予想していなかったのですが、本書は極めてタイムリーな書物になりました。
軍事侵攻に先立ち、ロシアは「ドネツク/ルハンスク人民共和国」を国家承認しました(同年2月21日)。その3日後、ロシアは「ドネツク/ルハンスク人民共和国」に対する集団的自衛権を主張し、ウクライナに対する軍事侵攻を開始しました(同年2月24日)。ロシアによる国連憲章51条の援用は、それが認められなければ2条4項違反となることを自覚していることを意味しています。
よく指摘されるように、国際法は「穴だらけ」であり、大国による重大な違反行為を止める仕組みを十分に備えているわけではありません。しかし、ロシアが国際法を完全に無視するのではなく、国際法に照らして自らの行為を正当化しようとしていること自体、平和な世界を目指す上で極めて重要な意義を有していると思います(⇨コラム「国際関係と法」)。

これを根拠として、自衛のための戦争は「正しい戦争」として許容される、という考え方があります。国連憲章51条に現れる「固有の権利」とは、droit naturel というフランス語訳をみると明らかなように、社会契約論(⇨第3章)のところで出てきた「自然権」、つまり国家の成立以前からもともと人間が有するはずの権利、という発想につながっています。
それでは、人道的危機を止めるために他国が軍事力を用いて介入する人道的介入は、集団的自衛権の行使として正しい戦争といえるでしょうか。1999年、コソボにおいて内戦が激化して生じた人道危機に終止符を打つためとして、NATOが安保理決議の授権なしに空爆を行いました。国連憲章からみると国際法違反となりますが、人道的な見地からはやむを得なかったとして、「違法だが正当(illegal but legitimate)」という評価もなされています(The Independent International Commission on Kosovo 2000, p.4)。これに対し、人類が繰り返してきた戦争はほぼすべて自衛の名目で行われてきたこと、さらに、人道的介入も侵略戦争を正当化するために濫用されてきたことから、「正しい戦争」という考え方そのものを否定しようとする議論もあります。
松田先生:
ウクライナのゼレンスキー大統領は、ロシアの侵略に対して徹底抗戦を呼びかけた、と伝えられています。国際的に見ると、侵略に対して自衛のために戦うことは「正しい戦争」と受け止められることが一般的です。
これに対し日本では、憲法9条との関係で「自衛のための戦争も含めて禁止される」という考え方が有力に説かれてきました。国際的にも稀有なこの考え方は、どのようにして生まれたのでしょうか。そして、個別的自衛権と集団的自衛権は、どのように異なるのでしょうか。
本章では、南原繁、ガルトゥング、長谷部恭男といった古典や現代の名著を読み解きつつ、「平和と法」をめぐる理想と現実について、国際法と憲法の両方から考えていきます。
本書は一般の方にも分かりやすく、かつ、問題の本質を深いレベルで捉えることを目指しています。さらに、章末の探究課題や文献リストを用いて、読者がさらなる発展的な学びにつなげられるように工夫を凝らしました。高校生から社会人まで、対話をしながら楽しく学ぶ素材として、さまざまな場面で自由にご活用いただけたら本当に嬉しく思います。


松田先生ありがとうございました!
目 次
はじめに
1 リベラルアーツは何を目指すか
2 本書の使い方
第1章 人間は自由な存在か――聖書と法
1 神への反逆と自由の始まり――創世記、出エジプト記
2 法は何のためにあるか――マタイ福音書、マルコ福音書
3 真理はあなたがたを自由にする――ヨハネ福音書
第2章 法に従うのは自由か――哲学と法
1 愛智者として生きる――プラトン『ソクラテスの弁明』
2 悪法には従うべきか――プラトン『クリトン』
3 自然法は存在するか――トマス・アクィナス、ケルゼン
第3章 社会契約は自由にするか――政治と法
1 自然状態から社会契約へ――ホッブズ、ロック
2 直接民主政と間接民主政――ルソー、アーレント
3 自由の多義性――コンスタン、バーリン
[コラム]国際関係と法
第4章 真実の物語とは何か――歴史と法
1 自由の普遍史――カント、ヘーゲル
2 歴史とは何か――イブン=ハルドゥーン、アーノルド、津田左右吉
3 国際法誕生の歴史――グローチウス、中井愛子
第5章 正しい戦争はあるか――平和と法
1 平和の技術としての国際法――ミルキヌ=ゲツェヴィチ、カント
2 憲法9条の問題――南原繁
3 平和とは何か――ガルトゥング
[コラム]開発と法
第6章 自由の基盤は何か――文学と法
1 文学的経験の探求――加藤周一、ゲーテ
2 民主政の基盤としての文学――ソポクレース
3 法=権利とは何か――シェークスピア
第7章 真理は教えられるか――教育と法
1 人間は弱いものとして生まれる――ルソー
2 「自由の人格」のための教育――デューイ、南原繁、フロム、サンデル
3 教員は何をすべきか――ロジャーズ、フレイレ
第8章 自由は語りうるか――言語と法
1 言語の恣意性――ソシュール
2 「リベルチ」・「ライト」をどう訳すか――福澤諭吉、柳父章
3 言語哲学と法
――チョムスキー、ヴィットゲンシュタイン、碧海純一、大屋雄裕
[コラム]音楽と法
第9章 自由の限界はどこにあるか――倫理と法
1 危害原理とは何か――ミル
2 人間は自由の刑に処せられている――サルトル
3 自殺の自由はあるか――カント、ショウペンハウエル、デュルケーム
第10章 宗教は平和をもたらすか――宗教と法
1 ムスリムスカーフ・風刺画事件――『クルアーン』
2 宗教戦争と政教分離――アサド、矢内原忠雄
3 東洋における自由――鈴木大拙、親鸞
[コラム]人類学と法
第11章 自由市場は法規制すべきか――経済と法
1 経済学の人間観――アダム・スミス
2 資本主義の本質とは何か――岩井克人
3 貨幣と法――マルクス、モンテーニュ、デリダ
第12章 自由意志は虚構か――心理と法
1 無意識と自由意志――フロイト、リベット
2 フィクションとしての自由意志――来栖三郎
3 法と心理学――『それでもボクはやってない』
第13章 客観性とは何か――科学と法
1 科学とは何か――ベーコン、ポパー
2 科学革命の構造――クーン、アインシュタイン
3 科学としての法学――ウェーバー、川島武宜
[コラム]数学と法
第14章 性規範から自由になれるか――ジェンダー・セクシュアリティと法
1 ジェンダー法学――オランプ・ドゥ・グージュ、ボーヴォワール
2 二分論批判――フーコー、バトラー
3 婚姻制度は何のためにあるか――Obergefell v. Hodges、堀江有里
第15章 SNSを規制すべきか――メディア・コミュニケーションと法
1 言論・出版の自由――ミルトン
2 メディア論からカルチュラル・スタディーズへ
――マクルーハン、ホール、吉見俊哉
3 事例問題――フェイク・ニュース規制
おわりに――「リベラルアーツの法学」は何を目指すか
本書で引用される
古典&名著一覧
第1章 人間は自由な存在か――聖書と法
『聖書』「エデンの園」[創世記]
エーリッヒ・フロム『自由であるということ』
『聖書』「十戒」[出エジプト記]
『聖書』「手の萎えた人を癒す」[マタイ福音書]
『聖書』「安息日に麦の穂を積む」[マルコ福音書]
『聖書』「真理はあなたがたを自由にする」[ヨハネ福音書]
『聖書』「新しい契約に仕える者」[コリントの信徒への手紙]
第2章 法に従うのは自由か――哲学と法
プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』
長清子「ICUと世界人権宣言」(『大学の理念とICUの教育』)
Martin Luther King, Jr., Letter from Birmingham Jail, April 16(1963)
トマス・アクィナス『神学大全 第13冊』
ハンス・ケルゼン『純粋法学〔第2版〕』
第3章 社会契約は自由にするか――政治と法
ホッブズ『リヴァイアサン Ⅰ』
ジョン・ロック『完訳 統治二論』
来栖三郎「フィクションとしての社会契約」(『法とフィクション』)
ルソー『社会契約論/ジュネーヴ草稿』
ハンナ・アーレント「自由とは何か」(『過去と未来の間』)
バンジャマン・コンスタン「近代人の自由と比較された古代人の自由について」(『中京法学』33巻3=4号)
I. バーリン「二つの自由概念」(『自由論〔新装版〕』)
第4章 真実の物語とは何か――歴史と法
カント『永遠平和のために/啓蒙とは何か』
ヘーゲル『歴史哲学講義(上)』
イブン=ハルドゥーン『歴史序説(1)』
ジョン・H・アーノルド『歴史』
津田左右吉『津田左右吉全集 第20巻 歴史学と歴史教育』
グローチウス『戦争と平和の法 第1巻』
クヌート・W・ネル『ヨーロッパ法史入門』
中井愛子『国際法の誕生』
第5章 正しい戦争はあるか――平和と法
ミルキヌ=ゲツェヴィチ『憲法の国際化』
カント『永遠平和のために/啓蒙とは何か』
長谷部恭男「平和主義と立憲主義」(『憲法の理性〔増補新装版〕』)
南原繁「第九条の問題」(『南原繁著作集 第9巻 日本の理想』)
ガルトゥング『構造的暴力と平和』
第6章 自由の基盤は何か――文学と法
加藤周一『文学とは何か』
ゲーテ『ファウスト(1)(2)』
木庭顕『誰のために法は生まれた』
ソポクレース『アンティゴネー』
シェークスピア『ヴェニスの商人』
イェーリング『権利のための闘争』
第7章 真理は教えられるか――教育と法
ルソー『エミール』
エーリッヒ・フロム『生きるということ』
J. デューイ『デューイ=ミード著作集9 民主主義と教育』
南原繁「教育の理念」(『南原繁著作集 第7巻 文化と国家』)
エーリッヒ・フロム『愛するということ〔新訳版〕』
マイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?』
C. R. ロジャーズ『ロジャーズが語る自己実現の道』
パウロ・フレイレ『希望の教育学』
第8章 自由は語りうるか――言語と法
碧海純一『法と言語』
フェルディナン・ド・ソシュール『一般言語学講義 抄』
岩井克人・前田裕之『経済学の宇宙』
福沢諭吉『福沢諭吉著作集 第1巻 西洋事情』
柳父章『翻訳語成立事情』
ノーアム・チョムスキー『知識と自由』
ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』
碧海純一『新版 法哲学概論〔全訂第2版補正版〕』
大屋雄裕『法解釈の言語哲学』
第9章 自由の限界はどこにあるか――倫理と法
J. S. ミル『自由論』
ローザ・ルクセンブルク「ロシア革命論」(『ローザ・ルクセンブルク選集 第4巻』)
ジェレミー・ウォルドロン『ヘイト・スピーチという危害』
宇沢弘文『経済学の考え方』
サルトル『サルトル全集 第13巻 実存主義とは何か』
カント『道徳形而上学の基礎づけ』
ショウペンハウエル『自殺について 他四篇』
デュルケーム『自殺論』
第10章 宗教は平和をもたらすか――宗教と法
『クルアーン』
長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』
ヴォルテール『哲学書簡 哲学辞典』
タラル・アサド『世俗の形成』
矢内原忠雄「近代日本における宗教と民主主義」(『矢内原忠雄全集 第18巻 時論 Ⅰ』)
鈴木大拙『新編 東洋的な見方』
『歎異抄』
ルイ・デュモン『インド文明とわれわれ』
竹内信夫『空海入門』
第11章 自由市場は法規制すべきか――経済と法
宇沢弘文『経済学の考え方』
アダム・スミス『国富論』
アダム・スミス『道徳感情論』
岩井克人『ヴェニスの商人の資本論』
デビッド・ガーバー『競争法ガイド』
斎藤幸平『人新世の「資本論」』
マルクス「資本論 第1巻第1」(『マルクス=エンゲルス全集 第23巻第1分冊』)
岩井克人『貨幣論』
第12章 自由意志は虚構か――心理と法
末弘厳太郎「小知恵にとらわれた現代の法律学」(『役人学三則』)
フロイト『フロイト全集15 1915-17年 精神分析入門講義』
ベンジャミン・リベット『マインド・タイム』
下條信輔『サブリミナル・マインド』
小坂井敏晶『人が人を裁くということ』
来栖三郎「フィクションとしての自由意志」(『法とフィクション』)
ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史(上)』
第13章 客観性とは何か――科学と法
ベーコン「ノヴム・オルガヌム」(『学問の進歩/ノヴム・オルガヌム』)
カール・ポパー『推測と反駁』
トマス・クーン『科学革命の構造』
アインシュタイン「宗教と科学」(『アインシュタイン選集3 アインシュタインとその思想』)
マックス・ウェーバー『職業としての学問』
マックス・ヴェーバー『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』
川島武宜『「科学としての法律学」とその発展』
第14章 性規範から自由になれるか――ジェンダー・セクシュアリティと法
オランプ・ドゥ・グージュ「女性及び女性市民の権利宣言」(『女の人権宣言』)
シモーヌ・ド・ボーヴォワール『第二の性Ⅱ 体験』
ホッブズ『リヴァイアサン Ⅰ』
ミシェル・フーコー『性の歴史Ⅰ 知への意志』
ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル――フェミニズムとアイデンティティの攪乱』
堀江有里『レズビアン・アイデンティティーズ』
第15章 SNSを規制すべきか――メディア・コミュニケーションと法
ミルトン『言論・出版の自由』
マクルーハン,M. 『メディア論』
Stuart Hall, Encoding/decoding(Culture, Media, Language: Working Papers in Cultural Studies, 1972-79)
吉見俊哉「トランプ時代のカルチュラル・スタディーズ」(『アフター・カルチュラル・スタディーズ』)